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「過ちは消えるものじゃないですが」問題児だった男が口にした“恩返し”…東京五輪世代・邦本宜裕24歳が韓国で勝ち取った信頼 

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キム・ミョンウ

キム・ミョンウKim Myung Wook

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photograph byJeonbuk Hyundai Motors

posted2021/12/09 11:02

「過ちは消えるものじゃないですが」問題児だった男が口にした“恩返し”…東京五輪世代・邦本宜裕24歳が韓国で勝ち取った信頼<Number Web> photograph by Jeonbuk Hyundai Motors

全北現代のリーグ5連覇に貢献し、Kリーグベストイレブン候補にもノミネートされた邦本宜裕

 邦本は“東京五輪世代のエース”と言われるほど、その才能は同世代の中でも抜きんでていた。

 2013年にスカウトされて浦和レッズユースに加入。高校生ながら(16歳)でトップチームの練習にも参加し、同年10月の天皇杯3回戦・モンテディオ山形戦で途中出場ながらゴールを決めた。クラブ公式戦最年少出場(16歳8カ月20日)と最年少ゴール(17歳6カ月28日)の記録を更新し、一躍注目の的となった。

 ただ、すでに韓国国内でも報じられているように浦和ユース時代は未成年での喫煙が発覚したことを契機にチームを離れた。15年にアビスパ福岡へ加入して16年はJ1で20試合に出場して1得点を記録したが、17年5月に「クラブの秩序風紀を著しく乱した」として契約解除になった。日本でのプレーは当分できないと判断が下されたようなもので、誰もが「もう邦本は表舞台に立てない」と感じていたはずだ。

 彼が選んだのは韓国。18年に1部に昇格したばかりの慶南FCに加入した。

「ここでダメだったらもう終わり。そういう覚悟で韓国に来ました。今もそういう気持ちでずっとやっています」

 まさに背水の陣の覚悟。なりふり構ってはいられなかった。

「元々、周りに知っている人がいないと嫌な性格で、自分は少し気持ちが弱いところがあるんです。韓国に来てからは、厳しい生活になるのは分かっていましたが、逆に楽なところに行ったらダメになるだろうなとも思っていましたから」

 邦本は自分のことをよく知っている。周囲に家族や友人など頼れる人は誰一人いない韓国に身を置いたのはサッカーを続けること以外にも、自分自身を本気で変えたかったからだ。 

「韓国に来て気づいたことがたくさんある」

「最初、韓国に来たときは本当に帰りたくて……。チームには通訳がついていなくて、韓国語が話せないのがきつかったですが、英語でコミュニケーションが8割くらいで、リスニングは100%大丈夫でしたから。今は1人でも全然大丈夫ですよ。性格もすごく変わりました」

 この一言にたくましさを感じずにはいられなかった。ただ、もっと早く自分に厳しくできていれば、東京五輪で日本代表のユニフォームを着ていたかもしれない。なぜ韓国での今のように、もっと本気でサッカーに取り組めなかったのだろうか。

 アビスパ福岡を離れた当時を振り返り、こう語り始めた。

「全てにおいて考え方が甘かったと思います。練習の取り組み1つからもそうでした。練習は1時間半から2時間くらいだとしたら、それだけやって試合に出られても、出られなくてもどっちでもいいやって、楽なほうにばかり考えがいってしまって……。Jリーグでやっていた時に今の考えがあれば、もっと日本でプレーできたかなと思います。韓国に来て気づいたことがたくさんあります」

 邦本が続ける。 

「過ちは消えるものじゃないですが、そこから自分がどうしていくかで、周りの目も変わります。自分が過ちを犯した時、助けてくれた人たちがたくさんいました。家族やチームを探してくれたエージェントさん、アビスパ福岡時代の同僚も『何でも言ってくれ』と連絡をくれていたんです。その時、励ましの言葉をかけられていなかったら、挫折してサッカーをやめていたかもしれません。今もすごく感謝しています。

 だから、その人たちのためにプレーと結果で恩返しをしなくちゃいけない。サッカーだけじゃなくて、普段の生活面の部分でもしっかりしないといけないと思いました。今も毎日、自分がしっかりしていれば必ず恩返しはできるという気持ちでやっています」

 そして「自分の考え方が変わったことで、気持ち的にも強くなれた」と感じている。今ではチーム練習の後に、寮でご飯を食べ終え、1時間ほどドリブルの練習をこなすのも習慣になった。

【次ページ】 いつか日本代表のピッチに

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