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欧州サッカーPRESSBACK NUMBER
「最も美しいゴールは東京で決めた“あのボレー”」「今一緒にプレーしたいのは…」名手プラティニに直撃インタビュー
posted2021/12/09 17:00
text by
フローラン・ダバディFlorent Dabadie
photograph by
Florent Dabadie
11月下旬、ちょうど10年ぶりにミッシェル・プラティニに会うことができました。私にとって、彼はテニスのヤニック・ノアとともに、子供時代のアイドルです。80年代のフランスは、多くの競技において大国でしたが、なかでもプラティニは国民的な英雄でした。
W杯の1982年スペイン大会、86年メキシコ大会とも、私は予選最終戦(対オランダ、対ソ連)をパリの競技場パルク・デ・プランスで観戦しました。どちらもプラティニが決定的なゴールを決め、MVPに選出された試合です。得点王にも輝いた84年欧州選手権の優勝もあって、80年代半ばのプラティニは世界一の選手でした。
実際、83年から3年連続でバロンドールを受賞しています。マラドーナのような鬼才ドリブラーではありませんが、プラティニは桁違いなサッカーIQを備えていました。若い頃から誰よりも早く次のプレーを読み、パスの正確性も圧巻、ユベントスに行ってからは点取り屋に進化していきます。
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引退後は、88年から92年までフランス代表の監督を務め、その後に仏テレビの人気解説者となり、98年W杯フランス大会組織委員会の共同委員長に就任するなど、次々と成功を収めました。ギリシャ神話のミダース王のように触ったもの全てを黄金に変える能力があったのです。
2000年にFIFA会長(当時)のブラッター氏に出会って、UEFAのテクニカル・アドバイザーに抜擢され、このカリスマと情熱の持ち主はあっという間にUEFA会長の座に上り詰めます。しかし、それが彼のサッカー人生の頂点でした。FIFA会長選に立候補し、八百長事件に巻き込まれます。15年には全てを失い、今現在も名誉挽回のために裁判で戦っているのです。
私の最も美しいゴールは東京で決めたあの一発
プラティニは今年、40年前から別荘を持っていた南仏のカシー市(マルセイユから車で30分)に移り住み、その可愛いらしい町の港にあるレストランのオーナーになりました。地中海料理店です。その日の昼、プラティニはテラスで私を待っていました。インタビューはもちろん無償で受けてくれました。
「私も妻のクリステルも日本が大好きだから。現役時代も引退後も何度も訪れた。田嶋(幸三/日本サッカー協会会長)はいつも良くしてくれるんだ」
日本と言えば、本人曰く唯一の後悔がトヨタカップで決めたあの幻のゴール。
「あれはオフサイドじゃなかった。私のサッカー人生で最も美しいゴールは、東京で決めたあの一発に違いない」
VARに長く反対してきた彼は、皮肉を込めてそう語ってくれました。楽しい会話であっと言う間に30分。コーラ・ゼロを飲むプラティニのインタビューが始まりました。
まずは、昨年亡くなったマラドーナについて。