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格闘技PRESSBACK NUMBER
「見てはいけないものを見てしまった…」桜庭和志と“戦慄の膝小僧”ヴァンダレイ・シウバの凄惨マッチでカメラマンが抱いた罪悪感
text by
長尾迪Susumu Nagao
photograph bySusumu Nagao
posted2021/12/04 17:03
PRIDEのルール変更により、桜庭和志は4点ポジションでヴァンダレイ・シウバの蹴りを受けることに。この試合をきっかけにシウバは絶対王者へと駆け上がり、桜庭の成績は下降線をたどった
2001年11月3日の「PRIDE.17」で、桜庭はシウバにリベンジする機会を与えられた。同大会よりPRIDEは体重を2階級に分け、93.1キロ以上はヘビー級、93キロ以下はミドル級とし、この試合はミドル級の王座決定戦となった。しかしながら、1ラウンド終盤にシウバの投げ技で、桜庭は肩を脱臼しTKO負け。2003年8月にもミドル級グランプリの1回戦として3度目の対戦が組まれたが、結果的にこれがシウバとの最後の試合になった。復讐に燃える桜庭だったが、右フックで失神KO負け。シウバへのリベンジはかなわず、ベルトも巻けず。桜庭はその後HERO’Sなど他団体でも王者になるチャンスがあったが、結局のところMMAのベルトには手が届かなかった。
時期は前後するが2002年8月28日、K-1とPRIDEがタッグを組んだ合同イベント「Dynamite!」が、国立競技場で開催された。9万人以上の観客を集めた同大会は日本のリングスポーツ史上最大のイベントであり、今後も動員数の記録が破られることはないだろう。そんな歴史的な大会で、桜庭はPRIDEの代表としてメインイベントに登場し、ミルコ・クロコップと対戦。試合を優位に進めていたが、下からの蹴り上げを顔に受け、眼窩底骨折によるTKO負けになった。眼の下を大きく腫らした桜庭は、涙ながらにこう語った。
「夏休みも最後なのに、たくさん応援に来てくれたのに……。負けてしまい、すみませんでした……」
大舞台でメインイベントを任された桜庭。負けてもマイクを持つその姿は、私にとって忘れられない、切なすぎる真夏の思い出になった。
「危ない、試合を止めろ!」深刻だったダメージの蓄積
初期のPRIDEでは無差別級で戦い、さらに過酷なルール変更の影響もあり、この頃から桜庭の動きは精彩を欠くようになった。身体にはダメージが蓄積され、怪我が治りきらないまま次の試合をすることも多かった。観客は桜庭を求めていたし、格闘技界も桜庭を欲していた。これがエースの宿命なのだろうか。それとも桜庭という漢の性なのだろうか。
桜庭は2005年大晦日の試合を最後に、PRIDEから離脱した。2006年8月5日に、前年度に旗揚げした新興団体HERO’Sで活動を再開。メインはもちろん桜庭の試合だ。桜庭はリトアニアのケスタティス・スミルノヴァスのパンチの連打でKO寸前に追い込まれた。私も撮影しながら思わず「危ない、試合を止めろ!」と声が出るほど危険な状態だった。最後は桜庭が腕十字で勝つには勝ったが、試合直後に検査入院するほどのダメージを受けた。