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《横浜高同期5人が証言》すべての松坂世代に捧ぐ“マツと俺たち”の物語「最後のマウンドを見て、ひと区切りつけられた」
posted2021/10/22 11:03
text by
樫本ゆきYuki Kashimoto
photograph by
Sankei Shimbun
〈PL戦2ラン男・常盤〉「アイツも本心は投げたくなかったんじゃないかな…」
「俺、アイツの立ち振る舞いが、大好きだったんですよ!」
松坂引退試合の翌朝。現地観戦した元横浜高のチームメイト・常盤良太が興奮気味に言った。声には昨夜の余韻と熱さがこもっている。いつもクールで、あの夏の甲子園、延長17回に及ぶ横浜−PL戦の決勝2ランを打った時でさえ感情を抑えられていた常盤が、興奮気味に話す。
「あんなの普通イヤですよ。球速もそうですが、限界だったのがわかる。もしかしたら、本心は投げたくなかったんじゃないかな……。でもね、俺、見られて良かった。区切りがついたもの。球場にいるファンもそうだったんじゃないかな。松坂大輔の最後のマウンドを見て、ひと区切りつけられたと思います」
一気に言い終えると、ひと呼吸置いた。
「しばらくは野球を忘れて、ゆっくり休んでほしいですね」
心からの声でそう言った。「見ている人の気持ちを考えて、やり切ってくれた。最後まで周りの人のことを考えるヤツでしたね。良いヤツだったんですよ、マツは」と、本人には直接言えないストレートな言葉を繰り返した。
〈ブルペン捕手・浦田〉「パワプロで松坂大輔を選んで遊ぶくらいしか…」
「もったいないことしたなーって。自分、あの当時、子どものオムツを替えてて、マツの全盛期をほとんど見てないんですよ」
控え選手で元ブルペンキャッチャーの浦田松吉が言った。「松坂の球を誰よりも多く捕った捕手」を自称する横高のムードメーカーだ。現在は不動産会社の営業マンとして神奈川を拠点にマイホーム計画のサポートをしている。業界歴16年のベテラン係長として部下の育成にも力を注いでいる。
松坂が高卒ルーキーとして155キロの豪速球を投げていた頃、新人王をとった頃、3年連続最多勝を取った頃、いわゆる絶好調の頃――。
浦田は福井工大野球部を途中退部した。全国大会で神宮出場を目指していたが、いろいろあって22歳で結婚。同級生たちが松坂の招待券でナイター観戦を楽しむ中、我が子の入浴や寝かしつけに追われてナイターどころではない生活を送っていた。