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“笑わない男”モウリーニョが人前でにこやかにピッツァを…世界を敵に回した“スペシャルワン”にローマで何が起きたのか
text by
弓削高志Takashi Yuge
photograph byGetty Images
posted2021/10/16 17:00
ローマ指揮官就任後は会見でも柔和な笑顔を見せることが多くなった
04年にポルトで欧州チャンピオンズリーグを制し、世界をあっと言わせると、翌年にはチェルシーを50年ぶりのイングランド王者に導いた。
10年にはインテルを率いてイタリア勢初の“トリプレーテ(3冠=CL+スクデット+コッパイタリア)”を達成。翌々年にはレアル・マドリーでスペインリーグも制した。
13年からは再びプレミアリーグへ戻り、17年にマンチェスター・UでEL優勝。CLとELを2度ずつ勝った史上唯一の男になった。
しかしさすがに戦い疲れたのか、ここ数年、モウリーニョの采配は精彩を欠き、チェルシーとマンU、そしてトッテナムでシーズン途中の解任が続いた。特に今年4月中旬、リーグカップ決勝直前にスパーズ監督職を解かれたのは心理的にこたえたのではないか。プライドも傷ついたことだろう。
だが、挫折を経るたびに、壮年モウリーニョの表情は柔らかくなっていった。
ラニエリもエール「必ずCLに連れて行ってくれる」
土いじりする彼をSNSで見つけたのは、世界中の人びとが人生について考えをめぐらせていた昨年の春、コロナ禍によるロックダウン中だった。
クラブが経営するレストランで生活困窮者への炊き出しが決まり、モウリーニョも野菜や果物の収穫に畑で汗を流していた。大地の実りを手にした彼は、憑き物がとれたような笑顔をしていた。
「カルチョが恋しい。イタリア人記者と戦術論議がしたい。イングランドの記者の質問ときたら選手のゴタゴタばかりだ」
トッテナムを解任された後、モウリーニョはすぐにセリエAへラブコールを送った。ローマが彼にさんざん煮え湯を飲まされた時代を知らない新オーナーのフリードキン一家は、米国人富豪らしい実利主義と高待遇で“スペシャルワン”を迎え入れた。
あらゆるタイトルを獲ってきた優勝請負人モウリーニョは、そのカリスマと手腕で瞬く間にローマの選手とOBたちの支持を取り付けた。
かつては守備偏重でボールポゼッションは半ば放棄、縦への速攻一辺倒と批判された戦法も、現チームではFWエイブラハムとFWショムロドフ、そして主将ペッレグリーニを中心に豊富な攻撃オプションを誇る。
「モウリーニョは戦術の研究に熱心だからね。彼はポルトガル人だが、そこいらのイタリア人監督よりずっとイタリア人らしい」
今月、古希を迎えるベテラン指導者ラニエリ(現ワトフォード)は、08-09年シーズンにはユベントスを、翌シーズンにはローマを率いてモウリーニョと鎬を削った。
当時、“スペシャルワン”から「老いぼれで勝者のメンタルがない」だの「長年イングランドにいたのにろくに英語がしゃべれない」だの、さんざん“口撃”を受けたのに、人格者ラニエリは同業者として彼の高い能力を認める矜持は失わない。熱心なロマニスタとしても知られるラニエリ翁は「彼なら必ずローマをCLへ連れて行ってくれるだろう」とエールを送る。