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順大・長門俊介監督が語る“19歳三浦龍司との東京五輪”「学生の枠に入らないレベルの選手になってしまった」
posted2021/10/09 11:00
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph by
Ichisei Hiramatsu
前人未到の偉業はなぜ達成されたのか? 2大会連続で学生ランナーを五輪へ送り出した順大・長門俊介監督に、三浦選手と二人三脚で挑んだ「東京五輪までの道のり」を聞いた(全2回の1回目/#2に続く)。
3000m障害7位入賞の快挙で東京五輪を終えた三浦を、選手村まで迎えに行った時だった。普段と変わらない様子で再会し、長門俊介はこう語りかけた。
「これから世界と戦っていくために、やることが増えるな」
三浦はその言葉を黙って聞き、凜とした声でこう返したという。
「監督、今までの取り組みで十分だと思います。戦えない相手じゃなかったですから」
三浦が順天堂大学に入学してから1年半、継続してきた自分たちのやり方は違っていなかった。三浦の言葉は、指導者冥利に尽きる。それでも長門には、金メダルのスフィアヌ・バカリ選手(モロッコ)との8秒差が、明確な“世界との差”に思えた。それを、当の三浦は「戦えない相手ではない」と、はっきり言ってのけた。
「その言葉を聞いて、本当に頼もしいなって思いましたね(笑)」
期待のルーキーとして順天堂大学へ進学
三浦は、3000m障害の高校記録を持つ期待のルーキーとして順大に入学してきた。
3000m障害をお家芸とする順大では、過去に塩尻和也がリオ五輪に出場している。オリンピアンを育て上げた長門の目には、両者の違いが明確に見えた。
「スピード力とハードリングの技術は明らかに三浦の方が上でしたが、塩尻と同じく(スピードの)切り替えが下手でね。ただちょっとアドバイスをしたらすぐに自分のモノにしてしまう。そういう吸収力や学びの早さはさすがだなと」
切り替えは、三浦自身が「大学に来て、ギアが増えたような気がします」と語るように、徐々に克服された。それをレースで実証したのが、大学1年時のホクレン・ディスタンス千歳大会(以下、ホクレン千歳大会)だ。3000m障害で日本記録まであと0.44秒と迫る8分19秒37で優勝し、日本歴代2位、41年ぶりに日本学生記録、U20日本記録も37年ぶりに大幅に更新した。
「ホクレン千歳大会に行く前に『学生のうちに日本記録出るね』という話をしていたんです。そうしたらいきなり歴代2位の記録を走っちゃって……いやー驚きでした。レースにはまだ余力があるように見えたし、塩尻とやっていたことの半分もやっていない状態なので、これから継続していけばもっと速くなるなという手応えがありました」