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木下雄介さん追悼試合で親友・京田陽太27歳が9回の守備で泣いた“本当の理由”…荒木コーチ「やっとプロ野球選手になれたな」の意味とは
posted2021/09/09 11:03
text by
小西斗真Toma Konishi
photograph by
KYODO
まだ試合が終わっていない9回なのに、泣きながら守る野球選手を見たのは、日本シリーズでの清原和博以来だろうか。あのときに清原が見せた涙の理由は、ドラフトで袖にされた大好きな巨人を打ち負かす達成感(厳密には達成直前だったが)であり、そして若さゆえの感情でもあった。
9月5日、中日の京田陽太もショートのポジションで泣いていた。その背景はスタンドにいたほとんどのファンは理解していた。
「年上ですけど木下さんとは入団が同期で、家族ぐるみのおつきあいをしてきました。本当にかけがえのない友だちです」
当日のDeNA戦(バンテリンドーム)は、8月3日に亡くなった木下雄介さんの追悼試合だった。ドラフト2位の京田と育成1位の右腕だった木下さん。ポジションも歩んできた人生も違ったが、すぐに打ち解けた。京田は新人王に輝き、木下さんも持ち前のスピードボールが評価され、支配下登録を勝ち取った。
9月5日は1年前に木下さんが初セーブを挙げた記念の日。今年3月には登板中に右肩を脱臼し、手術したとはいえリハビリを乗り越え、再び一軍のマウンドに上がる日を楽しみにしていた。まさか、最初で最後のセーブになるとは……。
DeNA先発の今永は木下さんと駒大の同学年
偶然だが、当日のDeNAの先発投手・今永昇太は木下さんとは駒大の同学年(木下さんは中退)だった。捕手の戸柱恭孝も当時の4年生。ドラゴンズ全員が喪章をつけ、木下さんの背番号「98」の特別ユニホームで戦ったのは当然としても、その思いは球団の垣根を越えて伝わっていた。「同じ時代を生きた野球人。何かやれることがあるはず」という山崎康晃の呼びかけに応え、ベイスターズの選手も帽子に「98」を書き込んで試合に臨んだ。