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野茂英雄が大谷翔平の“二刀流”を「応援しているんです」と語っていた理由…自身の高校時代は「プロは絶対無理やわ」と危機感を抱いていた

posted2021/08/31 11:04

 
野茂英雄が大谷翔平の“二刀流”を「応援しているんです」と語っていた理由…自身の高校時代は「プロは絶対無理やわ」と危機感を抱いていた<Number Web> photograph by Kazukiaki Nshiyama

8月31日で53歳となった野茂英雄。MLBの舞台で堂々と投げるマウンドでの姿は日本の野球界に大きな影響を与えた

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NumberWeb編集部

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Kazukiaki Nshiyama

雑誌「Sports Graphic Number」と「NumberWeb」に掲載された記事のなかから、トップアスリートや指導者たちの「名言」を紹介します。今回は8月31日に53歳となった野茂英雄にまつわる6つの言葉を写真とともに振り返ります。

<名言1>
社会人でこんなすごいんやから、プロは絶対無理やわ、俺。
(野茂英雄/Number600号 2004年4月15日発売)

◇解説◇
 大阪・成城工業高校時代のころから、野茂は新日本製鐵堺の練習に参加していた。同級生でキャッチャーとしてバッテリーを組んでいた内山登はこう証言する。

「僕もつきあわされたんですけど、社会人の投手と比べても野茂の球の方が速いし重いんですよね」

 新日鉄堺のエースだった清水信英もこんなふうに当時を振り返る。

「うちの練習に来た高校2年の野茂と並んで投げたんですけど、もうすごいボール放ってましたから」

 それなのに当の本人は、こんなにも弱気だった。

「社会人でこんなすごいんやから、プロは絶対無理やわ、俺」

 自分の実力をいちばんわかっていなかったのは、野茂本人だったということか。

 だが、その危機感が野茂の野球人生を大きく左右していく。

 最大の武器であるフォークボールを習得して1年目から主力として活躍。2年目にはチームを都市対抗野球大会でベスト4へ導き、88年ソウル五輪の日本代表にも選出されて銀メダル獲得に貢献した。アマチュアNo.1投手となった野茂は、史上最多の8球団から1位指名を受け、そこから瞬く間に飛躍していった。

 謙虚な姿勢が、後の成功を大きく引き寄せたのである。

【次ページ】 「やりたいか、やりたくないか」

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