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野茂英雄が大谷翔平の“二刀流”を「応援しているんです」と語っていた理由…自身の高校時代は「プロは絶対無理やわ」と危機感を抱いていた
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NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph byKazukiaki Nshiyama
posted2021/08/31 11:04
8月31日で53歳となった野茂英雄。MLBの舞台で堂々と投げるマウンドでの姿は日本の野球界に大きな影響を与えた
<名言2>
希望はあるが、不安はない。
(野茂英雄/Number417号 1997年4月24日発売)
◇解説◇
野茂がドジャースとマイナー契約を結んだのは1995年2月。今と違って当時はまだMLB挑戦の環境が未整備だった時代だ。球団や監督との確執も囁かれ、懐疑的な視線と逆風吹き荒れる中でアメリカへ渡った。
英語も話せず、野茂自身も対戦するバッターすら多くを知らないという状況。年俸も1億4000万円から980万円へ大幅減額。それでも、野茂は「やりたいか、やりたくないか」に物差しを置いた。
2020年のインタビューでも「とにかくメジャーのマウンドに上がりたい。その気持ちが強くて、不安とか感じませんでした」と当時を振り返っている。
50歳を過ぎたいまも「体が元に戻れば、現役に戻りたいですよ」と語る。その言葉の奥には、微かな“本気”が潜んでいた。
ワンパターンだった相棒ピアザのリード
<名言3>
いいピッチャーはパターンを変える必要がない。ぼくも外、外、フォークで行ければいい。それが理想です。
(野茂英雄/Number434号 1997年12月18日発売)
◇解説◇
ドジャースでバッテリーを組んでいたマイク・ピアザのリードはワンパターンだった。だが、野茂は「それでいい」と語っていた。
「(カート・)シリングは外、外、スライダー。(グレッグ・)マダックスは外にまっすぐを投げてチェンジアップ。ペドロ・マルチネスはスライダー、ストレート、スライダー」
好投手の配球を例に挙げながら「ワンパターンで行って、ここというときだけ考える」と、理想とする投球を明かしてくれた。
そんな野茂の大らかな考えは、アメリカの野球にぴったりとフィットした。裏を返せば、それだけ鋭く落ちるフォークに自信を持っていたという証でもある。悩み、壁にぶち当たった時に、戻れる原点を作ることはプロとして大切なことなのかもしれない。