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“人種差別バナナ投げつけ事件”にも何食わぬ顔で… ダニエウ・アウベス38歳のタフすぎるメンタルと最強SB伝説
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byTakuya Sugiyama
posted2021/08/29 17:01
バルサ時代とセレソンでのダニエウ・アウベス。サイドバックの概念を大きく進化させた人物の1人だ
2007年6月末から7月中旬にかけてベネズエラで行なわれたコパ・アメリカ(南米選手権)にも招集された。右SBのレギュラーはマイコン(当時インテル)だったが、主としてMFとして起用された。決勝のアルゼンチン戦では、前半途中からMFとして出場。右サイドから鋭いクロスを入れて相手のオウンゴールを誘発し、ミドルシュートを決めて代表での初得点を記録し、優勝に貢献した。
バルサ移籍時に「市場価値45億円の右SB」に
セビージャとセレソンでの活躍で、ダニエウは「世界トップクラスの右SB」という評価を得た。多くのビッグクラブが獲得を目指して争奪戦を繰り広げた末、2008年7月、推定移籍金3550万ユーロ(約45億6000万円)でバルセロナへ。セビージャでの6シーズンで、市場価値が64倍余りに跳ね上がったのである。
バルセロナでは名将ペップ・グアルディオラ監督の薫陶を受け、単なる右SBではなく、右サイドでDF、MF、ウイングの役割を兼務した。このような選手は、世界のフットボール史上でも前例がなかった。当時、右ウイングとしてプレーしていたリオネル・メッシとの連携も秀逸で、即興的なパス交換から相手守備陣を切り裂き、世界中のファンを魅了した。
2008-09シーズンは、メッシ、サムエル・エトー、ティエリ・アンリらの攻撃陣、シャビ、アンドレス・イニエスタ、セルヒオ・ブスケッツらの中盤、ジェラール・ピケ、カルレス・プジョルらの守備陣と共に欧州CL、リーグ、スペイン国王杯の三冠を達成する。
セレソンでもバルサでも好調時に起きた“事件”
ブラジル代表では、2010年W杯に招集された。しかし、右SBのレギュラーはこのときもマイコンで、ダニエウはMFとしてプレー。しかし、準々決勝でオランダの前に敗退した。
バルセロナでは、翌2009-10シーズンもスペインリーグを制覇すると、2010-11シーズンには欧州CL、スペインリーグを制覇する。さらに、2011-12シーズンはスペイン国王杯を、2012-13シーズンにはまたスペインリーグを制覇した。
バルセロナでは溌溂とプレーし、見事な結果も出して、すべてがうまく回っていた。ところが、2014年4月末、残念な出来事が起きる。