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中田翔は無償トレード、張本勲は三顧の礼… “同じ背番号10”も巨人で待ち受ける「イバラの道」〈2戦目で初本塁打〉
posted2021/08/23 17:03
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph by
Sports Graphic Number/Kyodo News
日本ハムの主砲、中田翔の巨人移籍が発表された。20日の記者会見は「謝罪会見」そのものだった。
きっかけとなった「違反行為」の詳細は知る由もなく、ここに至るまでの経緯はあまりに早急であったため、もやもやとした感情が残っている。今後については、野球選手・中田翔が心の底から自らを省みるという大前提の上で――能力を発揮し、選手生活を全うしてほしいと願うのみである。
中田翔は大阪桐蔭時代、甲子園に3回出場。2005年、1年夏の初戦、春日部共栄戦では5打数4安打1本塁打と強烈なアピールを見せる。甲子園通算でも37打数12安打4本塁打11打点、投手としても活躍。2007年のドラフトで4球団から1巡目指名を受けて日本ハムに入団した。
多少「やんちゃ」でも育成していった日本ハム
中田翔に対するファーストインプレッションは強烈だった。ドラフト後の関西ローカルのテレビだったと思う。関西では「メンチを切る」と言うが、テレビカメラをギョロっとにらみつける中田翔はただならぬ迫力があった。
日本ハムは2年前、ドラ1で入団が決まったダルビッシュ有が、入団直後に写真週刊誌でパチンコ、喫煙をしたことが報じられて謹慎処分になっている。当時は日本ハム球団と両選手には失礼ながら、正直なところ「なぜ、こういうタイプの選手ばかり取るのか」と思ったものだ。
しかしこの2人がその後の日本ハム、そして日本球界を代表する投打のスター選手になったことは、周知の事実だ。
日本ハムという球団は、多少「やんちゃ」であっても、素材が優秀で、人間としてもまっすぐであれば、才能を伸ばしていく自信があったのだろう。教育、コーチングの力で強いチームを作ると言う確固たる信念があるチームだったのだ。
高卒2年目で作った“二軍での驚異的記録”とは
1年目の2008年は二軍でプレーした中田翔だが、2年目の2009年に一軍昇格、初安打も打っている。
この年、中田は二軍で驚異的な記録を作る。82試合で30本塁打95打点、打率.326。ファームの記録は未整備の時代もあり断言はできないが、二軍で30本塁打、95打点は歴史に残る記録だ。