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元レイソルユース副将がなぜ東大に? “幻の東京五輪代表”が明かす後悔「冨安や堂安が活躍する姿を見てしまうと…」
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph by東京大学運動会ア式蹴球部
posted2021/07/30 11:03
東京大学運動会サッカー部に所属する染谷大河選手。実は元柏レイソルユース副将という意外な経歴をもつ選手でもある
「高校が進学校(千葉県立東葛飾高校)だったので高2の1月になった時、受験ムードになってきたんです。東大志望の友人と一緒に勉強していて、彼が見ているちょっと違う世界も眩しく感じられたんです。それから東大を志望するようになって、サッカーに対するモチベーションを保つことができなくなった」
チームメイトには1週間前に退団を伝えた。3年の同期生は「戦力が落ちた。終わったよ」とショックを受けていたが、最終的には染谷選手の決断をリスペクトしてくれた。
「みんな、『がんばってね』と送り出してくれました。副将を任されていたのにレイソルをやめたので、本当に受験に落ちたら格好がつかないと思いました(笑)。なんとしても受からないといけないと、毎日12時間ぐらい勉強をしていました。でも、現役では落ちてしまって……。今度こそはと、相当勉強しましたね」
本当は入るつもりはなかった「大きなものを捨てた以上……」
染谷選手は、1年後、文科二類に合格した。その時、サッカー部に入る考えは全くなかった。
「ユースをやめて大きなものを捨てた以上、別な分野でサッカーと同等なレベルに到達したいと思っていました」
染谷選手がサッカーをあえて遠ざけようとしたのは、それだけではない。柏レイソルユースという高いレベルでプレーしてきたプライドがあり、レベル的にも東大のサッカー部では満足できないと思っていた。
「僕が試合に出たら全部止められるとか、僕がプレーしたら勝てるとかのチームならいいやって思っていたんです。でも、実際に練習してみると、チームのレベルが想像以上に高かったので、もっとやらないといけない。ユースの時は試合を勝たせるGKではなかったので、ア式ではそういうGKになりたい。そう思って入団を決めました」
一度は捨てたサッカーの道に戻ってきたのは、山口遼前監督やOBからの熱心な誘いもあったが、「やってみて、面白くないならやめればいい」と言われて練習に参加するうちに、先入観が打ち払われたからだ。
東京五輪に出ていたかも…「簡単に捨ててはいけなかった」
大学で再びサッカーを始め、ユース時代の仲間がプロの世界で活躍をしていくのを見ていると、その場に挑戦できることがいかにすごいことだったのかを改めて感じた。それゆえ、5年前の決断にある思いがよぎる。
「やっぱり後悔がありますね」
染谷選手は、抱えていたものを吐き出すように、そう言った。