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「どうしたイチロー! で、次はどうする松坂」19歳で7000万円、1週間303球熱投…松坂大輔“伝説の1999年”を振り返る 

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中溝康隆

中溝康隆Yasutaka Nakamizo

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posted2021/07/17 17:04

「どうしたイチロー! で、次はどうする松坂」19歳で7000万円、1週間303球熱投…松坂大輔“伝説の1999年”を振り返る<Number Web> photograph by KYODO

1999年5月16日のオリックス戦。イチローとの初対決で3打席連続三振を奪う

 しかし、だ。1週間で計303球を投げまくった平成の怪物は、驚くべきことに足の治療で休むのではなく、19歳の誕生日を迎える9月13日にはソウルに渡り、15日に五輪予選決勝リーグの台湾戦に先発するのだ。シドニー五輪からプロ野球選手の出場が解禁となり、松坂はいわばプロ・アマ混合の新チームの顔だった。日本から200人のマスコミもあとを追うように韓国入り。あらゆるものを背負い、19歳になったばかりの日本のエースは台湾戦のマウンドに上がると、3回に1点を失うも、古田敦也の巧みなリードにも導かれ、4回以降は1安打のみの快投。チームのサヨナラ勝ちを呼び込む、まるでスポ根野球漫画の主人公のような13奪三振の1失点完投勝利で日本を救った。

19歳で年俸7000万円、計4億円のCM契約まで

 9月25日には王ダイエーの初Vが決まるが、29日のロッテ戦に先発した松坂は、「今日は生まれて初めて自分のためだけに投げました」と16勝目をあげ、最多勝のタイトルを手中に。1年目は25試合(180回)、16勝5敗、防御率2.60、151奪三振。新人王に加え、高卒新人として初めてベストナインに選ばれ、ゴールデン・グラブ賞にも輝いた。99年シーズン、西武の観客動員は前年比32.5パーセント増の183万4000人を記録。西武グループの顔として、営業面の大きな貢献も加味され、12月1日の契約更改では1300万円から5700万円アップの推定年俸7000万円で一発サイン。438パーセントのアップはルーキーとして史上最高となった。

 その日、都内で行われた第16回「日本新語・流行語大賞」の表彰式にも出席。「ブッチホン」の小渕恵三首相、「雑草魂」の上原浩治とともに「リベンジ」が大賞として表彰された。CDデビューしたばかりの嵐が表紙を飾る『小学五年生』12月号では、「19歳でタイトルを総なめにした“怪物くん”の1年をふりかえる!! 松坂伝説’99」特集が組まれ、江夏豊がその才能を絶賛する。

【次ページ】 4億円のCM契約まで

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