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「どうしたイチロー! で、次はどうする松坂」19歳で7000万円、1週間303球熱投…松坂大輔“伝説の1999年”を振り返る
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byKYODO
posted2021/07/17 17:04
1999年5月16日のオリックス戦。イチローとの初対決で3打席連続三振を奪う
6月7日時点で、松坂の6勝こそ同僚の西口文也に1差の2位だったが、防御率1.70は12球団唯一の1点台でぶっちぎりのトップ独走である。ここから打線の援護にも恵まれず勝ち星に見放されるが、7月6日のオリックス戦では1カ月ぶりの7勝目をあげる一方で、5点リードの9回裏にイチローに勝負を挑み、センターバックスクリーン左へ通算100号アーチをたたき込まれた。打たれてもスポーツ新聞の一面を派手に飾る男は、7月13日の近鉄戦でわずか内野安打1本に抑え、ハーラートップタイの8勝目を1安打完封で飾った。
当然、オールスターファン投票は、投手部門史上最多の96万0754票を集めて文句なしの選出。真夏の祭典の主役は、前半だけで9勝をあげた西武の背番号18だった。フリーバッティングでは、イチローとともに外野守備に就き、ハニカミながら試合前のノッカーも務める。第1戦、セ・リーグ先発の上原浩治(巨人)とのルーキー対決が注目されたが、松坂は2失点(自責点0)も高卒新人最多の5三振を奪い、優秀選手に選ばれた(MVPは球宴4試合連続アーチの松井秀喜)。
1週間で計303球を投げまくった
「シーズン前に10勝できないと思っていた人たちを見返すことができました。どうだ、という感じですね」
後半戦初登板となった7月31日のロッテ戦は8回途中1失点、プロ初の無四球ピッチングで、高卒ルーキーとしては67年の江夏豊(阪神)以来、32年ぶりの2ケタ到達。リーグ10勝一番乗りと初の月間MVP受賞の勲章つきだった。3連覇を狙う西武は首位ダイエーを追いかけ、夏場は勝負どころで松坂に頼る場面も増えていく。東尾監督は、背番号18が9月2日の日本ハム戦で15奪三振、137球の完投で13勝目をあげた3日後、なんと5日の近鉄戦に中2日で同点の9回から初めてリリーフ登板させたのだ。この試合、3イニング41球のノーヒット投球で14勝目。さらに続けざまに中2日で8日ダイエーとの首位攻防戦にも先発。毎回の10奪三振を奪い、2失点に抑えていたが、7回裏二死、ついに体が悲鳴を上げる。松中信彦に対して、その試合125球目を投じた直後に左大臀筋がつり、マウンドを降りた。