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「キレてなーいで一世風靡」マイク・ベルナルド“あの伝説KO”を覚えているか?「最強のアーツが吹っ飛んだ…」カメラマンが感じた“パンチの風圧”

posted2024/07/28 11:00

 
「キレてなーいで一世風靡」マイク・ベルナルド“あの伝説KO”を覚えているか?「最強のアーツが吹っ飛んだ…」カメラマンが感じた“パンチの風圧”<Number Web> photograph by Susumu Nagao

すさまじいパンチ力を誇ったマイク・ベルナルド。K-1全盛期に「四天王」のひとりとして活躍した

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長尾迪

長尾迪Susumu Nagao

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Susumu Nagao

スキンヘッドの大男が左フックを振り抜いた瞬間、“最強の暴君”は鈍い音を立ててマットに崩れ落ちた。「K-1史上最高のKO」のひとつにあげられる伝説的なシーンを生み出したマイク・ベルナルドは、いったいどれほどのハードパンチャーだったのか。「あんな荒業は彼しかできない」――豪快なKOの数々をリングサイドで撮影したフォトグラファーの長尾迪氏が、42歳で亡くなった“南アフリカの剛腕”の足跡を振り返る。(全2回の1回目/後編へ)

K-1デビュー当時「無名だったベルナルド」への低評価

『主は私の光、また救いです。だれを恐れる必要がありましょう』

 旧約聖書の「詩篇」の言葉をトランクスに入れ、バンテージには十字架を書き、闘い続けた格闘家がいた。破壊力抜群のパンチで“南アフリカの剛腕”とも呼ばれた反面、愛嬌たっぷりの笑顔で“ベルちゃん”と親しまれた男の名前は、マイク・ベルナルド。K-1グランプリでの優勝経験こそないが、ピーター・アーツ、アーネスト・ホースト、アンディ・フグらと共に「K-1四天王」として活躍した。

 早いもので、彼が他界してからもう12年の時がたつ。ベルナルドの日本での足跡を、写真を交えて振り返ってみたい。

 ベルナルドのプロデビューは1993年2月、地元のケープタウンでボクサーとして活動をスタートした。その後は5試合ほどボクシングの試合を行ない、1994年10月にキックボクシングルールでジェロム・レ・バンナと対戦。試合には敗れたが、その内容が高く評価され、キックボクサーとしての道が開けた。

 初来日は1995年3月の『K-1 GRAND PRIX '95 開幕戦』。対戦相手は優勝候補と目されたアンディ・フグだった。当時のベルナルドはまったくの無名選手。格闘技関係者やメディアの間では、「フグの引き立て役としてベルナルドが用意された」と思われていた。

 私はK-1のスタジオ撮影を担当していたが、彼の第一印象はおぼろげで、「身体が大きい物静かな青年」くらいのものだった。また、最初に彼を撮影した枚数は非常に少なかった。当時はフィルムカメラだったこともあり、フィルム代と現像料がかかるので、いまのように沢山シャッターを押すことはなかったのだ。おおよそ1選手あたり36枚撮りのフィルムを1~2ロール程度(36カット~72カット)のところ、トップクラスの選手の場合には3ロール使用することもあった。一方、ベルナルドの撮影はその1ロールにも満たない、わずか19カットだった。それは彼に対する我々の低評価の表れでもあった。

【次ページ】 アンディ・フグ戦の番狂わせ「フロックか? 実力か?」

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