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【50歳】前田智徳と鈴木誠也が似ている? 山本浩二や達川光男が語った「前田は天才じゃない」22歳当時の“仰天発言”も
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NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph byNaoya Sanuki
posted2021/06/14 06:00
孤高の天才と呼ばれた前田智徳も今年で50歳。現在は解説者としてユーモアあふれるトークで野球ファンを魅了している(写真は1992年)
<名言2>
前田には技術的に教えることは何もない。
(山本浩二/Number878号 2015年5月21日発売)
◇解説◇
熊本工業高校から入団した前田智徳の非凡な才を見出したのは当時、監督だった山本浩二だ。1990年春のキャンプで二軍練習を視察した際、ノックを受けていた前田のフィールディングの良さが目に付いた。
打撃練習を見てさらに驚いた。詰まって凡打になるような内角ギリギリの速球を、前田は一瞬体を引いてヒットゾーンに打ち返す技術を持っていた。
「この18歳は大したもんやな。面白い」
1年目の6月に一軍に上げると、前田はその期待に応えるかのように初打席でツーベース。開幕戦から1番センターに抜擢された2年目は、6度目のリーグ優勝に貢献し、自身も20歳でゴールデングラブ賞を獲得。翌年からは3季連続で打率3割をマークした。
「天才と言われるけど、天才じゃない。物凄い努力家よ。自分のスタイルがあって、凄い準備をして、練習のルーティンを絶対に崩さない」
反面、他を近づけないオーラを纏っていたことで、当時のチームメイトからは「前田は人嫌いなんじゃないか」とも囁かれたが、前田を孤立させないよう気遣ったのが山本だった。
「ブチッ」という音が聞こえた
そんな前田を悲劇が襲う。1995年5月23日のヤクルト戦、当時ショートを守っていた池山隆寛は二塁ゴロで一塁に駆け込む前田の足から「『ブチッ』という音が大歓声の中からはっきりと聞こえてきた」と証言する。前田は右足アキレス腱を断裂、プロ野球人生を左右する大怪我だった。
柔と剛が合わさったバッティングを作る下半身の粘りは元に戻らない。そんなジレンマを抱えたからか、「前田智徳は死にました」と自虐的な言葉を口にするまでに落ち込んだ。
しかし、苦しむ前田を救ったのもまた山本だった。監督を離れ、解説業を担っていた山本に入院中の前田から電話があったという。ご飯に連れて行って欲しいと頼る前田に、山本は家族共々、焼肉屋へ連れ出し、冗談を投げかけた。
バランスが良くなるから左足も切ったらどうや――。
「こちらからアイツの中に入っていけば心を許すヤツやから、冗談でもいいから話をすることが、アイツに対して最も大事なことやったね」(山本)
復帰した前田はその後も痛めた箇所を庇ったことで故障が相次いだが、結果を出し続ける。96年から4季連続で打率3割をマーク。2000年には「もう一度万全な状態にしたいと」と左足アキレス腱の手術に踏み切り、02年にカムバック賞を受賞。05年には全試合フル出場を果たし、打率.319、32本塁打、87打点と生涯最高の成績を収めた。規定打席に到達しなかった2シーズンを除き、打率3割を超えたシーズンは11回を数えるが、そのうち8回が右アキレス腱を断裂した後の記録である。
「……無事これ名馬っていうじゃない。前田にそれがあれば、大変な選手になっていたよ。数字にしてもタイトルにしてもね」
そう話す山本の表情は、どこか誇らしげだった。