Jをめぐる冒険BACK NUMBER
ジーコの唾吐き、20歳ヒデは鬼軍曹、モトさんの伝説ループ…本田泰人が明かすJ開幕&加茂ジャパン激闘の舞台裏
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byKazuaki Nishiyama
posted2021/06/01 11:02
ジーコと一緒にプレーできることが鹿島入りを決めた理由だった語る本田氏。チャンピオンシップでの唾吐きは今も鮮明に覚えている
97年5月の日韓戦で初招集された20歳のMFは、瞬く間にチームの中心となった。
「賢いやつ、頭のいいやつっていう印象だった。名波(浩)は年上に気を使いながら少しずつ主導権を握っていったけど、ヒデは鬼軍曹というか、最初からキツめのことをガンガン言って、雰囲気がピリッとしたんだよね。相馬なんか、めちゃくちゃガッツリ言われていた(笑)。ヒデは年上に対しても『くん』付けだし、場合によっては呼び捨てだったから、それだけでもチームの雰囲気は変わるよね」
中田を加えた代表チームは、97年9月からフランスW杯アジア最終予選に突入する。
ウズベキスタンとの初戦でゲーム終盤に守備固めとして投入された本田に先発のチャンスが巡ってきたのは、第3戦のことである。
ホームの韓国戦――気合が入らないわけがなかった。
「こいつらを倒さないとW杯にはいけないと思っていたから、モチベーションがグッと高まったよね。実際、自分のパフォーマンスはほぼ完璧だったと思う。モトさん(山口)もパートナーが名波じゃなく俺だったから、攻撃に出たがっていて。『大丈夫です、後ろは任せてください』って言ったら、あんなのを決めちゃうんだから」
0-0で迎えた67分、ペナルティエリア内に侵入した山口が相手DFをひとりかわして右足でボールを掬い上げると、鮮やかなループシュートが韓国ゴールに吸い込まれていく。
その瞬間、国立競技場が爆ぜた。
「鳥肌もんだったよ。韓国に対して、あんな小馬鹿にしたようなシュートを決めちゃうんだから。韓国にとっては屈辱だっただろうね。ただ、そのあと、加茂さん、ちょっとテンパっちゃったのかな……」
DF秋田豊の投入「え、このタイミングで?」
リードからわずか6分後、日本のベンチが動く。韓国に脅威を与えていたFW呂比須ワグナーに代えてDF秋田豊――守備固めだった。
「押し込まれていたけど、そんなに問題ないなっていう感覚があった。だから、秋田が出てきたとき、『え、このタイミングで?』と思ったのは俺だけじゃないと思う。あの交代で流れがガラッと変わったし、(ディフェンスリーダーの)井原(正巳)さんもバランスを取るのが大変だったんじゃないかな」
誰が誰のマークに付くのか混乱した日本は、守備のバランスを崩したところを突かれ、続けざまに2ゴールを割られてしまう。
韓国に痛恨の逆転負けを喫した日本は、続く敵地のカザフスタン戦でも終了間際に追いつかれてドロー。その夜、加茂監督の解任と岡田武史コーチの昇格が発表された。
「俺はまだ大丈夫だと思っていたから、解任と聞いてびっくりした。他の選手たちも『まさか』と思ったんじゃないかな。コーチ時代の岡田さんはニコニコしていて、イジられ役に徹してた。代表に選ばれて何に驚いたかって、岡田さんが可哀想なくらいイジられていたこと(苦笑)。監督になったら威厳を保たないといけないから、すごく難しかったと思う。でも、それを岡田さんはやったからね」