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「膝が、耐え抜いてくれた」中田久美監督も期待する“サウスポー”長岡望悠が日本代表に戻ってきた理由…二度の靭帯断裂、イタリアで得た刺激 

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米虫紀子

米虫紀子Noriko Yonemushi

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photograph byTakahisa Hirano

posted2021/05/05 17:01

「膝が、耐え抜いてくれた」中田久美監督も期待する“サウスポー”長岡望悠が日本代表に戻ってきた理由…二度の靭帯断裂、イタリアで得た刺激<Number Web> photograph by Takahisa Hirano

二度の大怪我を乗り越えて日本代表のコートに戻ってきた長岡望悠。中田監督からの期待も大きい

 二度目の怪我からの復帰の過程で、長岡は一度、日本代表や東京五輪を視界から遠ざけた。

 一度目の左膝前十字靭帯断裂からの復帰も、1年以上を要し、大変な苦労を伴うものだったが、18年12月の二度目の怪我からの復帰はそれを上回るものだった。思うように状態が上がらず、19年夏に再度手術を行うなど、先の見えない日々が続いた。

「今回はうまくいかないことのほうが多い。1歩進んで2歩下がって、また進むかと思いきやもう一回1歩下がって、みたいなことの繰り返し。今思えば、1回目の時は順調だったんだなーと。今は1回目とはまったく違う怪我、という感覚です。前の怪我の4倍ぐらい大変」と話していた。

 体はもちろん、心もつらかった。リハビリが思うように進まない中、迫ってくる東京五輪への思いを聞かれたり、その舞台に立つことを期待される。それが大きなストレスになっていった。

「周りの期待を余計に重く感じてしまったというか、周りから言われることに対して過剰に感じてしまう部分がありました。みんなは頑張って欲しいと思って言ってくれていることなんですけど、だんだん、それをうまく消化することが難しくなって。みんな、私にそこ(東京五輪)を目指して欲しいという感じで言ってくださったんですけど、その期待に応えなきゃと、いっぱいいっぱいになって、余裕がなくなっていきました。

 もう言わないでーって思っていた時もありましたね(苦笑)。ありがたいことなんですけど、その時は余裕がなくて。完全に、心が折れた時もありました」

長岡が立ち返った“原点”とは

 復帰を諦めて引退が頭をよぎったこともある。それでも、長岡はコートに戻ってきた。“原点”に立ち返ることができたからだ。

「いろんなものが覆いかぶさって、本当の、正直な自分の気持ちがわからなくなっていたんです。自分が何を大事にしたいのか、行きたい方向をいつの間にか見失っていた。だから、1回全部ゼロにして、本当は自分はどうしたいのかを考えたら……やっぱりもう一度復帰して、自分が満足できるところまではやろうと思いました。

 自分自身が納得できるようにとか、家族の前でもう少しプレーしたいという気持ちはすごくあったから、その部分で満足できたら、私は十分だなって思ったんです。そうやって自分に素直になれたことで、すごく楽になりました。ここを目指したいという欲よりも、この膝で、新しい膝で、もう一度満足のいくパフォーマンスをするためにチャレンジしていこうと思いました。成長したいという思いは、私のバレー人生でずっと変わらずに、一番大事にしてきたことなので。だから、原点に戻れたような感覚がありました」

【次ページ】 簡単には消えない恐怖心

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