バレーボールPRESSBACK NUMBER

「膝が、耐え抜いてくれた」中田久美監督も期待する“サウスポー”長岡望悠が日本代表に戻ってきた理由…二度の靭帯断裂、イタリアで得た刺激 

text by

米虫紀子

米虫紀子Noriko Yonemushi

PROFILE

photograph byTakahisa Hirano

posted2021/05/05 17:01

「膝が、耐え抜いてくれた」中田久美監督も期待する“サウスポー”長岡望悠が日本代表に戻ってきた理由…二度の靭帯断裂、イタリアで得た刺激<Number Web> photograph by Takahisa Hirano

二度の大怪我を乗り越えて日本代表のコートに戻ってきた長岡望悠。中田監督からの期待も大きい

 一時は重荷になった代表や東京五輪に、今は自然体で向き合っている。

「今の自分にできることを精一杯やり抜く中で、チームに貢献できるのであれば、という気持ち。今日こうやって中国と試合をして、膝が耐えてくれて、段階をまた踏めたことはすごく大きなことですし、こういうことを大事にしながら一歩一歩進んで、チームに貢献できるレベルに自分が行けたら、精一杯貢献したいという気持ちでいます」

 プレーだけでなく、コート外でも、今の長岡はチームの力になれるはずだ。リオ五輪後に歩んできた道は、長岡に精神的なたくましさや視野の広さを与えた。二度の大怪我を乗り越えた経験はもちろん、海外リーグに挑戦した経験も大きな糧になっている。

 2018-19シーズン、長岡は久光を離れ、イタリア・セリエAの強豪イモコに移籍した。一度目の怪我から復帰したばかりの時期で、東京五輪も近づいてくるタイミングだっただけに、悩み抜いての決断だった。

「悩んで悩んで……どうなっても後悔しないほうを、自分がワクワクするほうを、と思って決断しました。一番はやっぱり環境を変えたかった。成長し続けるために、変化を求めている自分がいました」

 だが、イモコに合流して約1カ月半後、試合中に再び左膝前十字靭帯を損傷し、帰国した。イタリアに行ったから怪我をしたというわけではないが、結果的に長期の離脱を余儀なくされ、もしかしたら長岡はイタリア移籍を後悔しているのでは、と勝手な想像をしていた。だからこの言葉を聞いた時、心底驚いた。

「怪我した時に思いました。『この選択しといてよかったー!』って」

 今でも、後悔は「全然ない」と言い切る。それほど濃密でかけがえのない時間だった。

「本当に行ってよかったなって」

 まず長岡が驚いたのは、イモコで出会ったプロ選手たちの想像を超えるタフさだった。バスでの過酷な長時間移動や、国内リーグと欧州チャンピオンズリーグが並行して行われるハードスケジュール。しかも両大会は使用するボールが違うため、ボールの性質の違いにもその都度対応しなければならない。私生活も含め、挙げればきりがないほどあった、長岡が面食らうようなことを、他の選手たちは平然とこなしていた。

「みんな、ちょっとやそっとのことじゃあ惑わされない。『そういうもん』って感じなんだろうなって。『こうじゃなきゃいけない』と思っていたら、応用力がなくなっちゃうなと感じました。最初体調を崩したりもしましたけど、それも自分でなんとかするしかない。もう全部の経験を、あーこういう感じなんだなーって、こう両手を広げて……浴びてましたね(笑)」

 そんな経験があるから、久しぶりに戻ってきた2020-21シーズンのVリーグでは、イレギュラーな出来事もイレギュラーだと感じなくなったという。

「2カ月もなかったけど、それでこんなに学べるんだから、本当に行ってよかったなって。行ってなかったら、一生後悔していたと思います」

 そう言える長岡こそタフだ。

 いろいろな意味で、長岡のバレー人生を変えたイタリア挑戦。そこで得たものが活きる場面はこれからまだまだありそうだ。

関連記事

BACK 1 2 3 4
#長岡望悠
#中田久美
#久光スプリングス
#東京五輪
#オリンピック・パラリンピック

バレーボールの前後の記事

ページトップ