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バルサ暗黒期を現地記者が回想 フィーゴの謀反、不遇サビオラ、再任ファンハール大失敗…“最悪の会長”伝説 

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ジョアン・ポキ(ムンド・デポルティーボ記者)

ジョアン・ポキ(ムンド・デポルティーボ記者)Joan Poquí(Mundo Deportivo)

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posted2021/02/16 06:00

バルサ暗黒期を現地記者が回想 フィーゴの謀反、不遇サビオラ、再任ファンハール大失敗…“最悪の会長”伝説<Number Web> photograph by Getty Images

リバウド、サビオラ、クライファートは“トリデンテ”と呼ばれたが、当時のバルサは彼らを生かしきれていなかった

 無冠で2シーズンを終えたことで、クラブの周囲は騒然としていた。「会長ガスパール」には、副会長時代のような手腕がないのではないか。ソシオたちが抱きはじめた疑念は的を得ていた。なぜかCLだけ勝ち続けていた前代未聞の(そして説明のつかない)快進撃が最後の希望になっていたものの、ガスパールの3年目、そして最後のシーズンは壊滅的な結果に終わった。

 準々決勝でユベントスに屈してヨーロッパでの戦いを終えた時、既にガスパールはいなかった。世論の圧力に加え、カタルーニャの各種スポーツ当局の勧めまで受けた末に、とうとう会長の座を退いたのだった。

ファンハール解任前日にも笑えるネタ、結局5年無冠

 カンプノウで殉教者となった後にも、ガスパールは笑えるエピソードを残している。

 ファンハールが解任される前日の2003年1月26日、バルサは敵地でセルタに0-2で敗れた。息苦しい雰囲気に包まれたビーゴからの帰路、明け方に到着した空港でファンの罵声を浴びながら報道陣に囲まれたガスパールは、「人としての慈愛をもって、そっとしておいてくれないか?」と記者たちに懇願したのである。

 ガスパールは前代未聞の無冠時代を築き上げただけでなく、経済的にも恐ろしく的外れな選手補強を繰り返した末、フィーゴが残した大金を使い果たした。あらゆる側面で大失敗に終わった第36代バルサ会長の軌跡は、テレビカメラに収められたあの悲喜劇のような光景に象徴されていた。

 カタルーニャの各種スポーツ当局、そして次期会長候補たちと協議した上でガスパールが辞任したのは、その1週間後のことだ。

その後、ライカールトとロナウジーニョが

 ヌニェス最後の1シーズンとガスパールの3シーズン。その後バルサはもう1年、無冠のシーズンを過ごすことになる。ジョアン・ラポルタが会長に当選し、ライカールトとロナウジーニョがやってきた2003-04シーズンである。

 結局、バルサの無冠は5シーズン続いた。

 言うは易し。だがあの時代を生きた人々にとっては、永遠に感じられるほど長い5年間だったのである。

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