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バルサ暗黒期を現地記者が回想 フィーゴの謀反、不遇サビオラ、再任ファンハール大失敗…“最悪の会長”伝説
posted2021/02/16 06:00
text by
ジョアン・ポキ(ムンド・デポルティーボ記者)Joan Poquí(Mundo Deportivo)
photograph by
Getty Images
16日からUEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメントが始まる。バルセロナ、レアルとアトレティコの両マドリー勢が覇権奪回をもくろむ一方で、バルサとレアルは現在決して順風満帆とは言えない。そんな両クラブ、そしてアトレティコの“暗黒期”について現地スペイン人記者に振り返ってもらった。第1回はバルサ編だ(翻訳:工藤拓)
カンプノウの貴賓席にて、ジョアン・ガスパールはひどく無愛想な表情を時折ひきつらせながら、慈悲を懇願するように立ち尽くしていた。
「1人にしてくれ」
遠目からでもそう言っているのが分かった。
数カ月後に会長の座を辞すことになる彼は、周囲の役員(とりわけ従兄弟のフランセスク・クロサ)に促されてもその場を動こうとせず、揺れ動く無数の白いハンカチと不快な指笛の音に包まれた、グロテスクな空間に無言で佇んでいた。
2002年12月15日。セビージャに0-3で惨敗したこの日、バルサと降格圏の勝ち点差は2ポイントまで縮まっていた。
暗く悲しいバルセロニスモの歴史に辟易していた人々の怒りは、この時とうとう爆発したのである。
バルサの会長となる前、ガスパールは前会長ジョゼップ・ルイス・ヌニェスの右腕として22年に渡って副会長を務めた。
バルサ史においてヌニェスの長期政権は、成功の時代として記憶されている。いくつもの浮き沈みがあり、一部のファングループからは常に反発を受けてはいたが、それ以上に多くのタイトルを獲得していたからだ。何よりヨハン・クライフ率いる「ドリームチーム」を生み出し、クラブ史上初の欧州制覇を成し遂げた功績は大きかった。
副会長としてそれだけの実績を残してきた彼ならば、20年以上もクラブを率いてきたヌニェスの良き後継者となるだろう。2000年7月に会長選挙が行われた際、多くのソシオたちはそう考えた。