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バルサ暗黒期を現地記者が回想 フィーゴの謀反、不遇サビオラ、再任ファンハール大失敗…“最悪の会長”伝説 

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ジョアン・ポキ(ムンド・デポルティーボ記者)

ジョアン・ポキ(ムンド・デポルティーボ記者)Joan Poquí(Mundo Deportivo)

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posted2021/02/16 06:00

バルサ暗黒期を現地記者が回想 フィーゴの謀反、不遇サビオラ、再任ファンハール大失敗…“最悪の会長”伝説<Number Web> photograph by Getty Images

リバウド、サビオラ、クライファートは“トリデンテ”と呼ばれたが、当時のバルサは彼らを生かしきれていなかった

 実際の彼はその2年半後、まるでローマ帝国時代に円形競技場で見世物にされた殉教者のように、カンプノウの貴賓席で誹謗中傷にさらされることになる。だがその時はまだ誰も、そのような光景を想像することはできなかった。

「医者にすら本当のことを言わない男」が会長に

 ガスパールは気難しい男だ。彼をよく知る人物(匿名希望)は「医者にすら本当のことを言わない男」と形容する。試合が苦しい展開になると、スタジアムから姿を消して物思いにふけることもあった。

 自慢はビートルズと親交が深いこと。1965年にモヌメンタル闘牛場でコンサートを行なった際、彼らは父親が経営するホテル・アベニダ・パレスに宿泊し、ジョン・レノンが自身のズボンを履いてステージに立ったのだとガスパールは主張している。その理由は「自分のズボンの方が綺麗にアイロンをかけられていたから」だという。

 そんな稀代の変わり者がチーム強化の最高責任者を務めていたのだから、当時バルサと契約交渉を行ったクラブや代理人たちは大いに振り回された。高額な移籍金が動いたのと時を同じくして、彼が経営する会社の財政が上向いたことを指摘した者もいた。

 実際のところ、感情表現豊かなガスパールは昔気質な経営者だったヌニェスと完璧な補完関係を築いていた。しかし、1人の熱狂的バルサファンにクラブ経営を任せた途端、歯車は狂いはじめた。

毒されたバルサ、崩壊の兆候

 しかも不運なことに、ガスパールが引き継いだチームは既に毒され、崩壊がはじまっていたのだった。

 ヌニェスはカタルーニャ主義を掲げる政治セクトと関係の深いファングループから受ける執拗な攻撃によって疲弊し、クラブを去ることを決意した。その頃にはもう、ルイス・ファンハール率いるバルサは衰退期に入っていた。

 オランダ人監督のチャンピオンズリーグにおける挑戦は3シーズン連続で失敗していた。その中にはクラブ創立100周年を迎え、カンプノウが決勝の舞台に選ばれた1998-99シーズンが含まれる。そして翌シーズンの準決勝でバレンシア相手に喫した痛恨の敗退は、ヌニェスの退任を促す導火線となった。

【次ページ】 フィーゴの謀反は「ガスパール劇場」の幕開け

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