スポーツ百珍BACK NUMBER
「2020年のバロンドールあったら、誰に投票しました?」 日本人唯一の投票権を持つ重鎮記者に聞いてみた
text by
茂野聡士Satoshi Shigeno
photograph byGetty Images
posted2020/12/31 17:02
2019年のバロンドール受賞は通算6度目のメッシだった。もし2020年にあったとしたら……
――なんというか、フワッとしたきっかけだったんですね(笑)。
田村:ただ彼らが日本に注目する要素があったのも事実。98年W杯の開催国がフランスで、2002年W杯の開催国キャンペーン真っただ中(最終的には日本と韓国の共催となる)だったし、開幕したばかりのJリーグにも世界的な選手がたくさんいた。注目度が高くて、彼らが日本にサッカー取材に来ることもあった、それで彼らが日本に来た時に付き添ったり、僕が欧州に行くときは必ず編集部に寄るようになったんだ。
――FF編集部って、どんな雰囲気なんですか。
田村:フランスは知り合いであろうがなかろうが、その場にいる人全員にあいさつする文化。だから気づいたら記者、リポーター、編集デザイナーと顔見知りになって、仲間として受け入れられた。そうなると「○○にアポイントを取ってほしい」と頼まれたり、逆にビッグネームの連絡先を教えてもらったこともあった(笑)。
大きかったバロンドールの“拡大化”
――なんとまあフレンドリーな。そういう関係性を築いたうえで、バロンドール投票権を得た経緯は?
田村:バロンドールの“拡大化”が大きな要因だったよね。
――というと?
田村:バロンドールは元々ヨーロッパ国籍の選手だけが選考対象だったけれど、95年にUEFA加盟クラブに所属する選手全員に広がって、さらに2007年には全世界に拡大された。以前は投票者もUEFA加盟国の記者だけだったのが、W杯出場経験がある国の記者も加えられたんだ。アジアでいうと日本や韓国とか、だね。その3年後にFIFAバロンドールになって、FIFAに加盟している全地域に広がったという経緯なんだ。
――なるほど。ちなみに2019年のバロンドール投票、田村さんって誰に投票したんですか?
田村:えーと……待ってね、今思い出す。確か、以下の順位だった。