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【高校サッカー史に残る伝説の選手宣誓】元青森山田主将・住永翔が4年前の“2分50秒”を振り返る
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2020/12/28 17:02
明治大では12番目のJリーグ内定者となった住永翔。高校生たちにメッセージを送った
住永がプロにこだわる理由とは?
住永がプロにこだわるのには理由があった。
彼の故郷は北海道の岩見沢市と美唄市の間に位置する三笠市。実家は玉ねぎの栽培を中心に、春にはアスパラガス、夏にはメロンなどを栽培する「住永ファーム」を家族で経営している。新型コロナウイルスの影響で部活と学校がなくなったころ、住永は実家に戻って手伝いをしていた。
ちょうど玉ねぎの栽培が始まるシーズン。毎日、陽が上る前に起きて、広大な土地を耕しながら、玉ねぎの苗を1つ1つ丁寧に植える。無事に育ってくれることを願いながら、陽が暮れるまで黙々と畑と作物に向き合った。
「小学校から大学までずっと好きなサッカーばかりやっていて、長い間、実家の手伝いをすることはなかった。『こんな大変なことを毎日やっているのか』と感じたし、同時に毎日こういう仕事をコツコツとやってくれたからこそ、自分はサッカーに全力で打ち込めているんだなと思いました」
両親が目の前の作業を積み重ねてきてくれたおかげで、自分のサッカー人生は成り立ってる。それを改めて気づける機会となった。
「両親から『翔のやりたいようにやりなさい。プロを目指すなら、納得が行くまでやりなさい』という言葉をもらった。コンサドーレU-15に入るときもそうだし、ユースに上がれないと宣告されて青森山田に行きたいと言った時も、両親は僕の想いを尊重してくれた。それは今も変わらない。だからこそ、何が何でもプロになって、両親を喜ばせたいし、サッカーでお金を稼ぐプロになって恩返しをしたい。そう、強く決意したんです」
だから、どんなに厳しい状況でも諦めることはなかった。しかし、ずっとわがままを言うわけにはいかないという気持ちもある。
「大学最後の大会まで全力でサッカーに打ち込んで、それでもプロから声がかからなかったら、実家に戻って家族のため、北海道のために農業に打ち込む。その世界で自分の存在価値をしっかりと見出していこうと決めていました」
明治大12人目のJリーガーに
それ以降、住永はこれまで以上に1日、1日を大事に過ごした。10月に入ると、徐々に興味を持っているクラブが現れ、12月についに長野パルセイロから正式オファーが届いた。そして12月21日、明治大から今季12人目のJリーグ内定者としてリリースされた。
「改めて僕は『パルティード・ア・パルティード』の人生だと思います。目の前のことを1日、1日を全力で取り組めたからこそ今がある」
31日から第99回全国高校サッカー選手権大会が開幕する。毎年この時期になると当時の熱い気持ちがよみがえるという住永に「今の住永翔が選手権で選手宣誓をやるとなったらどんなことを言うか」と尋ねてみた。
「もう一度、『パルティード・ア・パルティード』と言うと思います。あれから4年経って、その言葉の真の意味が分かってきたので、噛み締める思いはより深い。たぶん、また2分50秒くらいのものになると思いますけど(笑)」
最後に、これから大舞台に挑む高校生たちに向けた住永の言葉で、記事を締めたいと思う。