ぶら野球BACK NUMBER
巨人の悲しき「戦力外通告」 3年前、村田修一(36)の“非情なリストラ”がジャイアンツに残した遺産
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2020/12/12 17:03
2017年10月に巨人から戦力外通告を受けた村田修一(当時36歳)
試合は日大の後輩・長野久義のサヨナラ弾で決着が着いた直後、ライトアップ等の演出は一切なく、ナチュラルにグラウンドを歩き出すスーツ姿の村田さん。右翼席前に差し掛かると巨人時代の応援歌、次に左翼席からは懐かしの横浜時代の応援歌が流れる。今日の主役は応援歌のリズムに合わせ、自ら拳を振り上げ涙を流していた。
なんなんだこれは。正直、わけがわからない。だって、クビになった会社から約1年後に盛大な送別会をしてもらうなんて、そんな話は聞いたことがない。バッドエンドのはずなのに、終わってみればみんな涙と笑顔のハッピーエンドになってるこの感じ。村田さんらしいなと思った。ホームランと同じレベルで芸術的ゲッツーが人気を呼び、NPB復帰は叶わなかったが、その七転八倒の野球人生が共感を呼ぶ。いわば、“失敗をエンタメ化したプロ野球選手”だった。いや、ファンとミスをワリカンした男と言ってもいい。我々は人生でゲッツーを打ったときも、諦めずに打席に立ち続ける大切さを村田修一から学んだ。
そして…村田修一、3年後の“帰還”
――あれから時が経ち、子どもの頃に憧れた村田さんの背番号25を背負う岡本和真は、コロナ禍に揺れた今季、31本塁打、97打点で二冠王に輝いた。今となっては信じられないが、この番号を貰った当時の岡本はプロ3年間でわずか1本塁打しか打っていなかった。それが、いまやリーグを代表する大砲だ。なんだか、この期待以上の成長に村田ファンとしても救われた気がする。だって、決して無駄死にじゃなかったから。村田がいなくなって、由伸監督は腹をくくったかのように18年開幕戦から岡本をスタメンで使い続け、6月には4番に抜擢した。意志が見えないと言われた3年間の由伸采配において、これほど断固たる意志を感じた采配は他になかった。
そして、2020年12月28日に40歳を迎える村田修一は、来季から巨人一軍野手総合コーチを務めることになった。背番号25の若き4番打者と青年コーチがともに戦い、リーグV3と打倒ソフトバンクを目指す。
あの衝撃の自由契約から3年、確かに村田修一から岡本和真へと、巨人軍右のスラッガーの系譜は継承されたのである。
See you baseball freak……
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。