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巨人の悲しき「戦力外通告」 3年前、村田修一(36)の“非情なリストラ”がジャイアンツに残した遺産 

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中溝康隆

中溝康隆Yasutaka Nakamizo

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photograph byBUNGEISHUNJU

posted2020/12/12 17:03

巨人の悲しき「戦力外通告」 3年前、村田修一(36)の“非情なリストラ”がジャイアンツに残した遺産<Number Web> photograph by BUNGEISHUNJU

2017年10月に巨人から戦力外通告を受けた村田修一(当時36歳)

 そう冷静に考えると、当時の鹿取義隆GMコメント「(移籍しやすいように自由契約は)せめてもの誠意」というのは一理ある。仮に12月で37歳になる年俸2億2000万円の三塁手がFA宣言しても現実は厳しかったはずだ。だったら、せめて動きやすいフリーの立場で新天地を探してほしい。巨人側のせめてもの優しさ。だが、中途半端な優しさは時に人を傷つける。ファンに与える印象としては、在籍6年間で3度の優勝に貢献した功労者を非情にもリストラしたことには変わりない。

「ハッキリ言ってくださって、ありがとうございます」

 振り返れば、村田が横浜から移籍してきた2012年から巨人のV3は始まった。その3年間で、計431試合に出場。つまりたったの1試合しか休んでいない。当初は味方のはずの一部巨人ファンからさえも理不尽に叩かれ、現役最多の死球を食らいながら、雨の日も風の日もグラウンドに立ち続けた。11年シーズン、ライアルやフィールズ、さらには亀井善行まで日替わりで三塁起用されていたことを思えば、村田の加入は大きかった。生え抜き以外では初の選手会長まで務め、坂本勇人や長野久義の良き兄貴分として慕われる。だが、18年のチーム構想としては次代のドラ1スラッガー岡本和真を育てたいし、三塁には助っ人マギー、一塁には生え抜きで元キャプテンの阿部慎之助がいる。もちろんセ・リーグにDHはない。正直、立場は厳しかった。

 ロジカルに考えれば、村田自由契約はなんとか理解できた。でも、感情がついていかない。当時のスポーツ報知によると、村田は「ハッキリ言ってくださって、ありがとうございます」とコメントしたという。凄い男だ。クビにされて、こんな立派な台詞を言う自信は俺にはない。最後のすかしっ屁のように、恨みつらみをツイートして喧嘩別れするかもしれない。もしも、切られた本人がマスコミに向けて怒りをぶちまけていたら、当然ファンは同調して荒れていただろう。けど、村田の冷静な態度に球団もファンも救われた。チームが変わっても頑張ってくれよ、そう思わせてくれたわけだ。

「お、刺身あるな。20パーセントオフか」

 結局、NPB球団からのオファーはなく、18年はBCリーグの栃木ゴールデンブレーブスで再出発を切ることになった。現地では球場前でパイプ椅子に座って即席の青空サイン会を開き、地元のお爺ちゃんに笑顔で声をかける。

【次ページ】 クビになった会社から“1年後”の送別会

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