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巨人の悲しき「戦力外通告」 3年前、村田修一(36)の“非情なリストラ”がジャイアンツに残した遺産
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2020/12/12 17:03
2017年10月に巨人から戦力外通告を受けた村田修一(当時36歳)
本人に初めてインタビューをすると、気さくに「お、刺身あるな。20パーセントオフか。今日食えればこれはちょっと安くつくなみたいなのは楽しいですかね」なんつって37年間の人生で初めての単身赴任生活を笑ってみせる。“男・村田”というより、“大人・村田”がそこにいた。
「足が遅いから、打っちゃったらもう仕方なくゲッツーになるしかないので。ほかの人を見て『いいな、あのゴロだったら俺は絶対にゲッツーだけどな』っていうのがいっぱいありますからね。まぁでも、そういうのも含めてファンに喜んでもらえればいいかなとは思いますけどね」
「もし、僕がチームを優勝させられる存在なのであれば、とっくにオファーは来ていたと思います。だから、次の段階はちょっと違う目標になるでしょうね。外国人選手の獲得に失敗したとか、主力選手が怪我しちゃったとか、NPBに帰れるとしたら、チームはそういう状況でしょう。だとすれば僕は与えられた仕事をまっとうして、その穴をしっかり埋めることを目標にするだけです」
クビになった会社から“1年後”の送別会
現状を愚痴ったり、過去の実績やプライドにすがるのではなく、なぜか芸術的ゲッツー論と自分の仕事に対する覚悟を語ってくれたが、若手に混じりプレーしながらオファーを待つも吉報届かず。18年9月9日、栃木のホーム小山運動公園野球場で盛大な引退セレモニーが行われ、9月28日には東京ドームでの巨人vs.DeNA戦でお別れの『WE♡SHU』イベントが開催された。
その夜、自分は間が悪く他のイベント出演が入っていたが、無理を言って途中退席してタクシーに乗り、車から降りると東京ドームへ向かって走った。まるで恋愛ドラマのクライマックスシーンのようだが、実際は39歳の中年男が37歳のプロ野球選手の最後を見届けるために汗だくで走ったわけだ。