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「明日すら、見失いそうに…」引退式で藤川球児が思わず声を詰まらせた“MLBでの3年間” 

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ナガオ勝司

ナガオ勝司Katsushi Nagao

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posted2020/11/30 17:02

「明日すら、見失いそうに…」引退式で藤川球児が思わず声を詰まらせた“MLBでの3年間”<Number Web> photograph by KYODO

引退スピーチでは声を詰まらせながらも、笑顔を見せた藤川球児

 2014年、カブスは(結果的には2年後のワールドシリーズ優勝に向けて)再建が軌道に乗り始めた時期だった。チームはすでに「来季以降」に目を向けており、藤川氏のように契約最終年で怪我から復帰したばかりの投手が登板するチャンスは少なかった。

 次の年も構想に入っている救援投手が優先的にチャンスを与えられるのは「メジャーリーグではよくあること」で、構想から漏れている投手は、他の投手が登板できない時の“穴埋め”のような存在になるのが常だ。ただし、選手にとっての最悪の事態は、その理由がチームの若返りであれ、選手自身のパフォーマンス不足であれ、「実力を証明するチャンスが与えられないこと」である。そうなった時にどういうケアをされるかで、彼らの心の在り方みたいなものは大きく違ってくる。

 藤川球児はあの頃、いつも独りで戦っていたのだ、と思う。

 彼には愛する家族や、専属トレーナーや通訳や日本人スタッフもいたが、そういうことじゃない。自分を見限った人々との戦い。決して理解し合えない相手との戦い。勝ち目はないが、負けるわけにはいかない戦い。そして結局は、相手ではなく、自分との戦い――。

勝った、負けたではなく、ただひたすらに

 引退スピーチで言葉を途切れさせた後、彼は「……大丈夫です」と言って、涙を堪え、そして笑った。

「明日すら、見失いそうになってました。そんな時、阪神タイガースに入団してから苦労した経験が、僕を救ってくれました。俺は負けていない……見返してやる。独立リーグからもう一度、スタートして、自分の力を見せて、地元高知の子供たち、そして日本のプロ野球ファンをビックリさせたいと思いました」

 いつかご本人の口から語られるであろう「うまくいかなかった日々」を経て日本へ帰国後、彼は独立リーグから古巣タイガースへと復帰。クローザーに戻り、気づけば、限られた選手にしか出来ない「引退式」を行うほどの「恵まれた野球人生」となった。

「見返してやる。その時にはそんな気持ちはまったくなく、これが皆さまからの叱咤激励というものなんだと知り、心の底から有難う、という感謝の気持ちでいっぱいでした」

 勝った、負けたではなく、ただひたすらに、もがき続けた3年間。決して穏やかではなかった「彼の思い」も今は、遠い昔にめくられた古いページの中にだけ、残っている。

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