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「明日すら、見失いそうに…」引退式で藤川球児が思わず声を詰まらせた“MLBでの3年間”
posted2020/11/30 17:02
text by
ナガオ勝司Katsushi Nagao
photograph by
KYODO
藤川球児氏を「取材した」と言えるのは、彼がアメリカにいた2013年からのたった3年間、実質的にはその内の1年半ぐらいの短い期間だけだ。
それも「番記者」としてベッタリ付いていたわけではなく、当時、ブルワーズでプレーしていた青木宣親外野手(現東京ヤクルト)やレッドソックスにいた上原浩治氏、田澤純一投手(今季独立BCリーグ埼玉)、メッツの松坂大輔投手(現埼玉西武)、そしてブルージェイズにいた川崎宗則内野手(今季BCリーグ栃木)らを転々と取材する中でのことだった。
それなのに、「引退した」というニュースに触れて心が動き、ツイッターなどで彼が日本シリーズの解説をしたり、京都を観光するなど「引退後」を楽しんでいるのを知ると、少し嬉しかったりもする。それはなぜだろう?
手術するということは「それなりの責任があったからこそ」
初めての取材は2013年の秋、アリゾナ州メサ市に新しく建設されたカブスのキャンプ施設でのこと。当時の彼は同年6月にトミー・ジョン手術を受け、復帰のためにリハビリをしている真っ最中だった。
「人間の体は壊れても車の部品を取り替えるようにはいかないんです。今は痛いわけではないんですけど、やっぱりここ(肘)に今までなかったものを移植したわけだから、違和感みたいなものがないと言ったら嘘になります。正直、こういう感覚を持ったまま、投げてもいいのかな? という不安もありますね」
話す言葉には、どこか「リアリティ」があった。それもそのはずで、彼はトミー・ジョン手術の先輩である松坂投手や和田毅投手(当時オリオールズ・現福岡ソフトバンク)にそれぞれの経験談を聞き、今の自分と照らし合わせたと言う。そして、トミー・ジョン手術という「回り道」を彼は、こう表現した。
「僕らが手術することになった経緯はちょっと違うけど、同じところもある。それは全員、日本でそれなりのイニングを投げているってことですよね。日本にいる時、チームからそれなりの責任を持たされて長いイニングを投げてきたからこそ、こういう手術が必要になったわけで。そのことをまったく後悔してないんですよ。今の契約があるのも日本で活躍できたお陰ですし」
アメリカのプロ野球やトミー・ジョン手術といった「未知の領域」に踏み込んだ自分の感覚や気持ちを正しく「言語化」する。現実に起こっている「不測の事態」に対して、柔軟に対応しようとしている感じだった。