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突然の引退と涙の電話…「川崎の宝」鬼木達がフロンターレで指導者への転身を決意したワケ
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byGetty Images
posted2020/10/29 11:04
2018年にはJリーグ史上5チーム目となる連覇を達成した川崎フロンターレの鬼木監督
「一番はごまかさないということ」
鬼木キャプテンはチームメイトとの対話を大切にした。
なあなあではない、本気のコミュニケーション。
「一番はごまかさないということ。これは言いづらいなと思ったことでも、今言わなきゃダメだってときは(選手と)グラウンドだったり、グラウンドの外だったり個人的に話をしていました。
アントラーズで学んだことがベースにはなっていて、やっぱり要求しあってこそプロだと思っていましたから。もちろんその分、自分も律さなきゃいけないけど、キャプテンとして発信力も強くなっていきますからやりがいはありました」
ぶつかり合うことがプラスに
数年後にはキャプテンに就任することになる伊藤は、鬼木の振る舞いをよく見ていた。いや、自然と目がいった。
「問題を後回しにするのが嫌なんでしょうね、オニさんは。問題を解決するためにはとことんやり合います。もちろん相手の考えだってありますから、ぶつかり合ったことも多かったですよ。
でもぶつかり合うことがマイナスになるんじゃなくてプラスになっていました。中途半端が嫌いなんだと思うんです。それは指導者になってからも同じでしょうけど」
チームの先頭に立ちながらも苦しみはあった。2003年シーズンは山根巌の加入によって出番が激減してしまった。
普段、周りにはネガティブな感情を決して見せない人が、強化本部長の庄子に相談を持ち掛けたことがあるという。
「出られない時期が続いたので自分の何が足りないのかってフロントのほうにやってきて。鬼木は誰よりも熱い男だし、ハートでプレーする男なんですけど、一方で冷静な選手でした。このときも冷静に自分を見つめようとしていましたね。
だからフロントとしてはやっぱりチームを引っ張るキャプテンですから、当時の石崎(信弘)監督に“鬼木に直接説明してもらえないか”とお願いした記憶があります」