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突然の引退と涙の電話…「川崎の宝」鬼木達がフロンターレで指導者への転身を決意したワケ
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byGetty Images
posted2020/10/29 11:04
2018年にはJリーグ史上5チーム目となる連覇を達成した川崎フロンターレの鬼木監督
ケガとの闘いは壮絶を極めた
鬼木にその話を振ると「忘れていたけど今言われて思い出しました」と苦笑いを浮かべる。
「確かに悔しい思いをしていた時期ですね。自分ではやれている自負があったのと同時に山根の力を認めていて、仕方がないかなという複雑な心境でしたね。石さん(石崎監督)からもらった説明も今思い出しました。ネガティブでしたね。よく今まで忘れていたな(笑)」
その後、監督は関塚隆に交代する。2004年にチームは悲願のJ1復帰を決めることになるが、鬼木は度重なるケガに悩まされていく。2005年からはキャプテンを伊藤に託した。
ケガとの闘いは壮絶を極めた。
足首は1度手術しながらも、良くならなかった。練習に復帰しても痛みがぶり返してしまう。もう一度患部にメスを入れたものの、違和感は消えなかった。首のケガも長引いた。痛み止めの注射は欠かせなかった。ダブルパンチのケガは、先が見通せない。「メンタル的にもきつい」日々を送った。
2005年のリーグ戦出場は1試合、翌年はゼロになった。ベンチ入りからも遠ざかり、フロンターレを出ることも考えるようになっていた。このまま現役を終えることに納得いかない自分がいたからだ。
鬼木は突然に引退を決める
しかし――。
2006年シーズン、ホーム最終戦となった鹿島アントラーズ戦。
試合が迫ったタイミングで鬼木は突然に引退を決める。そのとき32歳、まだやれるという自分の叫びを自分の手でシャットアウトした。
「自分がいた鹿島との試合がホーム最終戦なんだなってふと思うと、これも縁なんじゃないかって。それで試合前日の練習が終わったあとに、関さん(関塚隆監督)のところにいって『引退します』って伝えたんです。
メンバーは試合で市内のホテルに移動していましたから、そこまで行ってチームメイトにも、スタッフにも挨拶して。突然と言えば突然なんですけど……まあケガも良くならないし、次の移籍先が見つかったとしても迷惑を掛けてしまってはいけませんからね」