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菅野智之、日本ハム1位指名拒否の裏に母の壮絶な覚悟 「どんなに大変なことが起きても…」
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph byKYODO
posted2020/10/19 17:02
2011年11月21日、神奈川県平塚市の東海大野球部合宿所で日本ハムからの指名を拒否する会見を開いた東海大・菅野投手
小倉アナ「夢を諦めて、妥協しなさいとはとても言えない」
プロ志望届を出し、ドラフトで指名されても日本ハムへの入団を拒否することは、ルールに抵触する訳ではない。それなのにあたかもそれがルール違反のような論調で、同調圧力が働いている感じだった。
そんな番組の中で意見を求められたのが、アシスタントを務めていた女子アナの小倉弘子さんだった。
「私は……」
こう語って少し息を飲むような一瞬の間に、彼女の決意のようなものが窺えた。
「もし自分の息子がどうしても行きたいと言ったら『自分の意思を通しなさい』と応援すると思います。子供の頃から憧れて、どうしてもそこに行きたいと頑張ってきた姿を見ていれば、夢を諦めて、妥協しなさいとはとても言えないと思います」
日本ハムに断りを入れて、浪人という選択をした
子を持つ1人の女性として、自分に思いを巡らせて出てきた答えだったのだろう。
世間が何と言おうと、母親の自分ならそう考える。番組内のムードに負けずに、そんな強い思いを吐露したのは、きっと母親の強さを思ったからなのだろう。
ドラフトから1カ月。
「自分の中で日本ハムに行くという選択肢がなかったわけではない。でも、やっぱり自分の小さい頃からの夢の方が大きかったということだと思います」
菅野は日本ハムに断りを入れて、浪人という選択をした。
遠回りをしても、自分の信念を貫き通す。
大学に籍を残して、練習は共にするが、練習試合にすら投げることは禁じられた。そうして孤独な練習を続ける1年が始まり、その1年を陰から支え続けたのも詠美さんだった。