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父の死でラグビーを諦め一度は自衛隊の道へ…今、釜石で再起を誓う青年に何があったのか
text by
多羅正崇Masataka Tara
photograph byYoshiyasu Saijo/Grafica Inc.
posted2020/10/01 11:00
ヤマハとのフレンドリーマッチに出場した釜石SWの片岡(左)。再び燃え上がったラグビーへの思いをピッチでぶつける
進路は海上自衛隊、ラグビーは消した
とりあえずラグビー部は卒業まで続けることにした。もはや自分のためではなかった。休部を引き留めてくれた母、村田監督、仲間、親公認で交際している彼女――支えてくれる人のために続ける。しかし卒業後の進路から、ラグビーは除外した。
「国を守る仕事はやりがいがあるだろうと思って、海上自衛隊に入隊したいと思いました。試験も合格して、入隊が決まりました」
9月20日は、入隊後の階級に関わる試験の日だった。
母と2人、テレビで観戦したW杯
運命のあの日、片岡は試験を終えて埼玉の実家に帰った。そういえば今日はラグビーW杯が開幕する日だ。母と2人、リビングで開会式のテレビ中継をぼんやりと眺めた。
画面の向こうで東京スタジアムの場内が暗転し、ラグビー界最大の祭典が始まった。プロジェクションマッピングで和の美意識が鮮やかに表現され、子供たちは大会公式ソング『World In Union』を伸びやかに歌った。いつから涙が流れていたのか、記憶は定かでない。かたわらの母も泣いていた。
「母親と2人で感動して、こんなに良いスポーツはないと泣いてしまいました。本当にラグビーは素晴らしいスポーツだなと思いました。そしていま選手として出来ているのに、なぜ諦めようとしているんだと……。その一方で、入隊は決まっているし、いろいろ動いてくれた方もいました。ただ、その日の夜には気持ちが揺らいでいました」
小学3年から仲間と歩いてきた楕円球の道。きっぱり諦められたと思っていたけれど、心の奥底に押し込んでいただけだった。強い葛藤を抱えながらも、ラグビーW杯の盛り上がりとシンクロするように情熱の火は燃え上がった。
「ずっと悩んでいましたが、その週には決心し、入隊でお世話になった方へお断りの電話を入れました。その方も元ラガーマンで、息子さんがラグビーをしていることもあり気持ちを汲み取って頂きました。本当に、W杯に人生を変えられました」