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父の死でラグビーを諦め一度は自衛隊の道へ…今、釜石で再起を誓う青年に何があったのか
text by
多羅正崇Masataka Tara
photograph byYoshiyasu Saijo/Grafica Inc.
posted2020/10/01 11:00
ヤマハとのフレンドリーマッチに出場した釜石SWの片岡(左)。再び燃え上がったラグビーへの思いをピッチでぶつける
NZ留学を決意、しかしコロナが……
W杯後、中断していた秋の公式戦が再開すると、片岡は専修大の先発スタンドオフとして4試合に出場。19年ぶりのリーグ戦5位という好成績に貢献した。
W杯を機にラグビー継続を決意した片岡は、大学卒業前に王国ニュージーランドへのラグビー留学を決心する。ただしワーキングホリデー制度を利用し、現地で働きながらプレーすることになった。
しかし、それはやってきた。
2020年の春、新型コロナウイルスが猛威をふるう。なすすべもなく八方塞がりの状況に追い込まれた。
「本当は大学卒業前の2月にニュージーランドへ行く予定でしたが、トップリーグの発掘プロジェクト(トライアウト)を受けるために渡航を延期していました。そうしたら新型コロナでトライアウトは中止になり、ニュージーランドにも行けなくなりました」
トライアウトも受けられず、留学もできず、部屋に閉じ込められた。俺はここで何をしているんだ――焦りと不安ばかりがじりじりと募った。「就職」の2文字が脳裏をよぎっては、掻き消した。
送った動画が審査を通り、釜石に入団
そんな暗中模索の日々は7月、突然に終わりを告げる。
片岡に門戸を開いたのは岩手・釜石市を拠点とする釜石シーウェイブス。1978年から日本選手権7連覇を成し遂げた“北の鉄人”新日鐵釜石ラグビー部の後継チームだ。アプローチは片岡から。送ったプレー動画が審査を通り、入団が許された。
2020年9月3日、正式に入団発表。その2日後、片岡はラグビーW杯の試合会場でプレーすることになった。
釜石シーウェイブスとヤマハ発動機ジュビロとのフレンドリーマッチは、釜石鵜住居復興スタジアムが舞台。ラグビーW杯でウルグアイが強豪フィジーを破る金星を挙げた、日本ラグビー界の新たな聖地だ。
「後半15分から出場しましたが、鵜住居のスタジアムは特別な雰囲気でした。試合の1週間前、スタジアムにペンキを塗る作業を手伝っていたので、少し愛着も湧いていました。この場所で感動を与えるようなプレーをしたい、と思いました」