欧州サッカーPRESSBACK NUMBER
叫ぶ内田篤人、目を閉じる内田篤人。
写真で振り返る「22番」の冒険記。
text by
千葉格Itaru Chiba
photograph byItaru Chiba
posted2020/08/26 20:00
写真を見返すと、仲間たちと喜ぶ姿が多かったと千葉氏。内田を撮り続けることによって、自らのスタイルを形成していった。
「膝……もう治らないんだよね」
内田のキャリアの分岐点となった膝の大怪我の後も、シャルケの試合や練習には定期的に通った。それまで監督交代や負傷で定位置を失っても、いつも居場所を取り戻してきた男であれば、時間はかかっても、再起するのではないかと根拠もなく思っていた。
2015年1月、たった一度だけ練習後に記事用のコメントを求めたことがある。その年のアジアカップを欠場することが発表されたすぐ後のことだ。
この時、一旦内田は日本代表メンバーに選ばれたが、クラブと話し合った代表サイドが怪我について考慮して、アジアカップ参加を見送ることを決めていた。そのため、同大会欠場が決まった心境を問うことになると、次のように話してくれた。
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「アジアカップに出たら半年絶対持たないと思っていた。行っていたら、もう、膝、ぶっ壊れると。でも、呼んでもらったから行こうと思っていた。壊れてもまあ仕方ないかなと思っていたんで、呼んでもらったからには……」
「膝……もう治らないんだよね、これ。なにがどうって細かくは言えないんだけど」
「治らないんだって」
本人としても簡単には受け止められなかっただろうその言葉の重さに、なにも返すことができなかった。
「止まるまで行くしかないっしょ」
「治らないけど、おれは別にやれるから。痛いけど」
「止まるまで行くしかないっしょ」
止まる時が訪れないでほしいと願いながら、その後もできるだけプレーする姿を撮影しようとした。
それから先、厳しい長期離脱と戦線復帰、シャルケからの移籍を経た内田は、2018年初めに鹿島へ戻ることを決める。
偶然なのだが、自分もその年の夏に日本に拠点を移し、以後はどういうわけかサッカーを撮影する機会が少し減ってしまった。
そんな中、何気なく携帯を見た時に「内田篤人、引退発表」という文言が目に入ってきた。見出しを見ただけで心拍数が上がり、混乱しながらも、最終戦の撮影ができないか編集者に探ってもらうことになった。