“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
引退・狩野健太、昔はよく泣いてた。
天才ゆえに苦労したJリーグ15年。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byJ.LEAGUE
posted2020/07/14 08:00
キャリアハイの数字を残した2009年シーズン。美しいプレースタイルが印象的だが、その裏では怪我との孤独な戦いがあった。
「違う畑でゼロから」も考えた。
焦る気持ちを必死に抑えながら治療に当たっていた頃、さらに追い打ちをかける事態となる。新型コロナウイルス感染症拡大の影響でJリーグが中断。数少ないオファーは途端に消え去った。
「1月の段階では複数のクラブからお話をいただいたのですが、(コロナ禍の影響で)それがすべて止まってしまって、条件面も厳しくなった。クラブの財政を考えても、ベテラン選手を新たに取るのではなく、どのチームも若手にシフトしていく。このままではどんなにもがいても辞めざるを得ない状況になるなと。じゃあ、引退となった時に自分は何ができるのか? 自分の人生について考えました。
違う畑でゼロから社会人になることも考えました。でも、ずっとサッカーをやってきたので、急にやりたいことを考えてもパッと浮かんでくるはずがありません。何をどう考えても、サッカーに出会えたからこそ今の自分があるのは間違いない。だったら、自分がやるべきことは、この経験を次の世代に伝えることなんじゃないかなと。
ただ、Jクラブのスクールや街クラブといった組織に入って指導者をする選択肢はもちろんあるんですが、いま『自分らしさ』とは何かを考えたとき、何かのメソッドに則ることよりも、これまで培ってきた技術や経験、考え方を子供たち1人1人にきちんと伝えることなのかなと。組織ではなく、個々で繋がっていくほうが自分としてはしっくりきたんです」
才能だけではサッカーはできない。
狩野は改めて神奈川県の第4種(小学生年代)の現状をリサーチした。全国的に比べてもJクラブや街クラブが多く存在し、選手数も多い神奈川に大きな可能性を感じた。
「チームに所属していながらもスクールを掛け持ちしている子供が多いことがわかったんです。僕もクラブでサッカーをしながら、公園で親や友達とサッカーを楽しんだ思い出がある。小さい頃はそのサイクルが楽しくて、サッカーに飽きたことは一切なかった。
僕は純粋にサッカーが好きで、少しでも上手くなりたいから毎日ボールを蹴っていただけ。それはプロになってからも変わらなかった。だから、30歳を超えてもプロサッカー選手としてプレーすることができたんだと思う。才能だけではサッカーはできない。技術は毎日コツコツと積み上げるもの。そういうことを子供達に伝えていきたいと強く思うようになったんです」