“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER

引退・狩野健太、昔はよく泣いてた。
天才ゆえに苦労したJリーグ15年。

posted2020/07/14 08:00

 
引退・狩野健太、昔はよく泣いてた。天才ゆえに苦労したJリーグ15年。<Number Web> photograph by J.LEAGUE

キャリアハイの数字を残した2009年シーズン。美しいプレースタイルが印象的だが、その裏では怪我との孤独な戦いがあった。

text by

安藤隆人

安藤隆人Takahito Ando

PROFILE

photograph by

J.LEAGUE

「天才」は静かにスパイクを脱いだ。

 Jリーグ再開が迫った7月1日、狩野健太は現役引退を発表した。昨季限りでJ2徳島ヴォルティスを退団。オフに行われたトライアウトにも姿を見せず、無所属のまま半年間を過ごしていた。

 彼はなぜ、いまこの決断を下したのか。そしてこれから先、どのような人生を歩もうとしているのか。「天才・狩野健太」のサッカー人生を振り返りながら、これからの展望を聞いた。

「年が明けた頃は、引退するとは思っていませんでした。今年で34歳になりますが、自分の中でまだまだやれるという気持ちもありましたから」

 2019年12月14日、この年J2を3位で終えた徳島は湘南ベルマーレとのJ1参入戦に臨んでいた。結果は1-1のドロー。J1昇格を逃し、チームは失意のまま徳島に戻った。

 湘南戦の翌日、2019年シーズンの解散式が行われ、そこで狩野は戦力外通告を受ける。

「僕の中では、来年もあるものだと思っていたので、かなりショックでしたね。でも、内心は『これが現実だな』とも思っていたんです」

「契約を更新しない」というチームの通告を予期できたのには理由があった。狩野はゆっくりと口を開いた。

「これ以上負荷を掛けられない」

「実は怪我を抱えていたんです。シーズン中盤からずっと股関節が痛くて、ごまかしながらやっていました。なかなかトップコンディションに戻りませんでしたが、J1昇格に向けて一丸となっているチームの雰囲気を壊したくなかったので、(誰かに言うのは)オフに精密検査をするまで我慢しようと思っていました」

 昨シーズンの序盤こそ出番を得ていたが、中盤以降になるとベンチ外となる日も多かった。貴重な経験を買われてメンバー入りが増えてきた終盤も、出番はごくわずか。それゆえに徳島の判断も理解はできた。

 退団が決まったあと、狩野は徳島の家を引き払い、家族で妻の実家がある神奈川県に居を移した。そこから身体を休ませながら股関節の痛みが引くのを待ったが、一向に鈍い痛みが消えることはなく、1月末にマリノス時代に世話になった医師を頼り、精密検査を行った。診断結果は左恥骨の疲労骨折。彼の股関節は「これ以上負荷を掛けられない」という状態までダメージを負っていたのだった。

「(現役を続けたかったが)トライアウトにも参加できず、この先どうなるんだろうという状況。でも、まずは割り切って治療に専念しようと。焦りがなかったといえば嘘になりますが、もうそうするしかなかったんです」

【次ページ】 「違う畑でゼロから」も考えた。

1 2 3 4 5 NEXT
狩野健太
静岡学園高校
横浜F・マリノス
柏レイソル
川崎フロンターレ
徳島ヴォルティス

Jリーグの前後のコラム

ページトップ