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ホッケー永井姉妹が語る五輪延期。
喪失感の中で気づいた武器とは。
posted2020/06/15 07:00
text by
内田暁Akatsuki Uchida
photograph by
Akatsuki Uchida
「私、ここで何しとるんやろ。今までやってきたこと、全部パーやん……」
3月下旬――。見慣れたライトブルーのフィールドに立ちながら、彼女は身体に重ならない心を、どうにも持て余していた。
そこは、彼女が所属する“ソニーHC ブラビア レディース”のホームグラウンドであり、子どもの頃からの遊び場でもあった。まだ本格的にホッケーを始めるその前から、クラブの監督でもある父親、そして2歳年長の姉と共に毎日のように通った、彼女のキャリアの原点である。
だが今の彼女にとって、そこは、本来いるはずのない場所だった。
本当なら……今頃は7月開幕の東京オリンピックに向け、代表の中心メンバーとして海外遠征に赴いていたはずだ。その遠征が3月に入って次々と中止になり、同月下旬には、オリンピックの1年延期が発表される。
何もやる気になれない。チームに戻っても、練習に身が入るはずもない。
「東京オリンピックまでの計画が、すべて崩れた……」
喪失感が、どうしようもなく胸を覆った。
ホッケーに囲まれて育った葉月。
永井葉月は生まれた瞬間から、ホッケーに囲まれていたと言って差し支えないだろう。両親ともに日本代表で、父親はキャプテンも務めたこの道の第一人者。その父に連れられ、練習を見た時から「楽しそう!」と目を輝かせた葉月少女にとって、8歳の時に姉と共にスティックを握ったのは、ごくごく自然な流れだった。
姉がいたことも大きかったのだろう、彼女は「ホッケー一家」として見られることを、重圧に感じたことはないという。
「自分が活躍すればいいと思っていたし、それが家族のためになると思っていた。注目してもらえるし、逆にホッケー家族で良かったなと思うことの方が多かったので」
周囲の期待を活力に変え、日本代表の司令塔へと成長した彼女は、4年前のリオ・オリンピックにも出場する。その大舞台では勝ち星を得られず予選敗退を喫したが、リオで味わった悔しさが、次のオリンピックに懸ける膨大なエネルギーとなった。