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ホッケー永井姉妹が語る五輪延期。
喪失感の中で気づいた武器とは。
text by
内田暁Akatsuki Uchida
photograph byAkatsuki Uchida
posted2020/06/15 07:00
(右から)日本代表主将のDF内藤夏紀、司令塔の永井葉月、葉月の姉でソニー主将の永井友理、点取り屋でドリブラーの清水美並。
「家族旅行に行ってただけかよ」
リオ・オリンピック本大会で予選敗退を喫した時、彼女は「もうホッケーはやめる」と心に決めたという。
代表の監督は父親。自身はチームの得点源と、代表副キャプテンとして若手のリーダー的な役割を担っていた。そのなかでの「何も出来なかった」という無力感が、彼女を強く打ちのめす。
「家族旅行に行ってただけかよ」――ソーシャルメディアに書き込まれた心無いコメントも、彼女を深く傷つけた。
“家族”はホッケー一家の長女である友理にとって、ある種の十字架だったかもしれない。スティックを握ったのが10歳とやや遅いのも、置かれた環境への反発心から。本格的に始めてからは親の名が重くのしかかり、妹との比較が影のようについてくる。
そうして比べられる時の文脈は、常に「妹の方が上手いよね」……少なくとも友理はそう感じていた。それらが耐え難く、妹を一方的にシャットアウトした時期もある。
そんな状況下でのオリンピックでの敗北と批判の声は、受け止められるものではない。
ホッケーなんてしたくない、誰にも会いたくない。
「一種のうつ状態でしたね」
今になり彼女は、苦笑と共に当時の心境を告白した。
予選敗退後も朝5時には……。
ただ、心はどんなにホッケーを拒絶しても、身体を休めることはなかったという。予選敗退後も選手村に残った彼女は、毎朝5時には起きて走っていた。
「なんでだったんだろう。あの時の気持ちは自分でも分からないんですが、やたら走ってはいましたね」
本人にも、なぜあの時に走るのをやめなかったのか、その答えは分からない。ただ、ひたむきな彼女の姿はソニーのチームメイトでもある清水美並ら後輩に、多大な影響を及ぼしていく。
「友理さんはもう次を見ている。私も友理さんみたいになりたい」
その敬意を原動力に、清水は寝ぼけ眼をこすりながら、選手村で走る友理の後を必死に追った。全体練習後に友理がシュート練習をすれば、清水も残ってボールを打つ。
そうして変わりゆくチームメイトの姿が、今度は友理を動かしたのだろうか。
このチームを、日本のホッケー界をもっと良くしていきたい――。
そう強く願った時、彼女は「まずは自分が変わらなくては」と思う。その時に真っ先に頭に浮かんだのが、妹に対する自身の態度だった。
「妹とのことはずっと気になっていたし、でもそれは、私が妹を受け入れられていなかっただけだなって。そこは自分が歩み寄らなくてはいけないし、まずは私が、一番近くにいる人への態度を変えないといけないと思って」