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中村俊輔のJデビューは大敗だった。
18歳で発揮していた逆算の思考。
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph byJ.LEAGUE
posted2020/04/16 20:00
1997年の時点で、中村俊輔はすでに独特のフリーキックのフォームも、あのサッカーへの探究心も持ち合わせていた。
デビューから3日後に任されたPK。
ガンバ戦から3日後、マリノスは等々力競技場でヴェルディと対峙する。中村は1点を追いかける73分に送り出され、2-2に追いついたのちの延長戦でも最後までプレーした。PK戦では4人目のキッカーを任され、しっかりとネットを揺らした。
中村はリスタートのキッカーを務めていた。左足の精度はセールスポイントだが、PK戦の抜てきはちょっとした驚きをもたらした。
試合後には指揮官アスカルゴルタへ質問が飛ぶ。ボリビアとチリで代表監督を務めてきたスペイン人は、「にんまり」という表現が似合う笑みを浮かべた。
「順番はもちろん考えました。1人目と5人目は大きな責任がかかるので、そこはシュンスケには任せられない。けれど、それ以外なら自信を持って選ぶことのできる選手ですよ」
中村自身は少しホッとした表情をのぞかせた。
「前の試合で負けていたし、自分が外してここで負けたら連敗になっちゃう。こういうリーグ戦を戦っていくうえで、連敗をしたらいけないというのはみんなが言っていて。ましてや水曜、土曜の連戦で連敗すると、疲労感もかなりあると。
そうやって試合をつなげて考えていくのは、実際に戦ってみて初めて分かること。いまはとにかく1試合1試合が経験というか、チームの勝利のために全力でプレーしながら、たくさんのことを学んでいる。先を行く選手に追いつくためには、1分でも無駄にしないようにしたい」
ワールドユース、そして日本代表へ。
Jリーグで過ごす日々を大切にしていきながら、6月にはワールドユース選手権のメンバーに選出される。現在はU-20ワールドカップと呼ばれる大会で宮本恒靖や柳沢敦らとともに主力を担い、ベスト8入りに力を注いだ。
プロ1年目のJリーグでは、27試合に出場して5ゴールをマークした。翌1998年2月には、フランス・ワールドカップへの準備を目ざす日本代表に初招集されることとなる。