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中村俊輔のJデビューは大敗だった。
18歳で発揮していた逆算の思考。
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph byJ.LEAGUE
posted2020/04/16 20:00
1997年の時点で、中村俊輔はすでに独特のフリーキックのフォームも、あのサッカーへの探究心も持ち合わせていた。
4点差をつけられ、試合が決まった後の登場。
マリノスを率いるハビエル・アスカルゴルタが、中村を2人目の交代選手に指名したのは55分だった。0-4に点差が広がった直後である。残念ながら試合の大勢は決してしまった。過度なプレッシャーがかからないタイミングは、高卒ルーキーのデビュー戦として悪くないものだった。
背番号25を着けた18歳は、三浦文丈、上野良治、山田隆裕、それに城に囲まれて攻撃を担った。高校時代から馴染みの三ツ沢球技場でのプレーだったが、「やっぱり、全然違いましたね」と試合後に振り返る。中村の出場後は失点をしなかったが、得点を奪うこともできなかった。
記者に囲まれた彼の表情に、初々しい興奮はない。
「開幕から2試合目でデビューできたのは良かったですけど、点差が開いて相手のプレッシャーもそこまでキツくなかったし、何ができたかと言えば……全然、手ごたえとかより課題のほうが多いです」
デビュー時点で、すでに逆算は始まっていた。
選手たちとメディアが交わる取材エリアでは、井原正巳や小村徳男、川口らが厳しい表情を浮かべている。日本代表としてW杯1次予選を戦ってきた彼らにとって、ホームで0-4の大敗を喫した事実は重い。
高卒ルーキーが控え目な発言をしたのは、先輩たちの雰囲気を察したからではない。目標からの逆算で自らのプレーを検証する中村の思考は、プロデビューを経てすでに新しい課題を見つけていたのだった。
「やらなければいけないことが、今日こうやって試合に出てさらに多くなりました」