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中村俊輔のJデビューは大敗だった。
18歳で発揮していた逆算の思考。
posted2020/04/16 20:00
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph by
J.LEAGUE
少なくとも1997年の4月16日時点で、その事実は大きな注目を集めるものではなかった。三ツ沢球技場で行われたJリーグ1stステージ第2節で、中村俊輔がJリーグデビューを飾っているのである。
桐光学園を高校選手権準優勝へ導いたレフティーが、期待のルーキーだったのは間違いない。ただ、1997年のJリーグが数多くの話題を集めて開幕したのもまた事実だった。
前年のアトランタ五輪後にセビージャへの移籍を模索した前園真聖が、ヴェルディ川崎の一員となっていた。テレビのCMにも出演していた若手スターは、5年目のJリーグで初の大型移籍ということもあり、開幕前からテレビカメラに追いかけられていた。
Jリーグ開幕前の3月には、フランスW杯アジア1次予選のオマーンラウンドが開催されていた。加茂周監督率いる日本はオマーン、マカオ、ネパールに3連勝したが、6月の日本ラウンドに向けてアトランタ五輪代表の抜擢を望む声が高まりつつあった。
W杯1次予選に出場したGK川口能活や城彰二だけでなく、ベルマーレ平塚で3年目のシーズンを迎える中田英寿への期待感も、ジワジワと熱を帯びている。
エムボマが来日、稲本が17歳でデビュー。
4月16日にマリノスが対戦したガンバ大阪にも、メディアに注視される選手がいた。フランスのクラブからやってきたカメルーン代表FWパトリック・エムボマは、どうやらケタ外れの身体能力の持ち主であることが明らかになった。この試合でも51分にチームの3点目をマークし、開幕から2試合連続弾を記録した。
ガンバのスタメンには、17歳の少年も名を連ねていた。稲本潤一である。当時のJリーグ最年少出場記録を打ち立てたガンバユースの傑作品が、シーズン開幕とともにブレイクの予感を漂わせていた。