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2012年4月5日、8年ぶりの五輪切符。
寺川綾のメンタルを変えた言葉とは? 

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松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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posted2020/04/05 11:40

2012年4月5日、8年ぶりの五輪切符。寺川綾のメンタルを変えた言葉とは?<Number Web> photograph by AFLO SPORT

2012年4月5日の日本選手権女子100m背泳ぎ決勝、寺川は日本新で優勝。ロンドン五輪代表を決めた。

「いろいろな評価をされるのがきつかった」

 不調は続いた。

 最も沈むことになったのが2008年だった。アテネに続く五輪出場をかけて臨んだ日本選手権だったが、100mで4位、200mも3位となり、北京五輪出場はかなわなかったのである。

 周囲の視線にも厳しさが増していた。かつての注目や期待が嘘のように、ここまでの選手とみなすかのような声があった。引退するのではないかともささやかれた。

 寺川もそれを知らぬわけがなかった。

「まわりにいろいろな評価をされるのがきつかったです。自分では精いっぱいやっていたから、結果を見て言われるのがいちばん自分の中では悲しかった」

意見を言えることが新鮮だった。

 それでも、先へ進むよりどころがあった。もっと強い選手になりたいという、あきらめない寺川の心にほかならなかった。

「このまま終わりたくないし、もう一度ナショナルチームに戻りたい、ロンドンを目指していきたい」

 では長期間の不調をどう脱け出すのか。考えた末、浮かんだ答えは平井伯昌コーチに師事することだった。

 平井氏はその時点で北島康介、中村礼子と2人のメダリストを育てていた。練習を見ていて、「すごく選手とコミュニケーションをとるコーチだ」と思っていたのが決め手の1つだった。

 2008年末、平井氏のもとへ移ると、驚きをいくつも感じずにはいられなかった。

「意見を言うことができるんだ、というのがまず新鮮でした。平井先生は『どう思う?』って聞いてくれるんですね。意見を押しつけないんです。練習メニューの意味もひとつひとつ説明してくれる。何のために行なうかを理解させながら進めてくれる」

【次ページ】 「人との相対的評価を気にしすぎるところがある」

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