テニスPRESSBACK NUMBER
錦織、ジョコ、フェデラーを口説き、
ユニクロとテニスを繋いだ坂本正秀。
posted2020/03/18 11:40
text by
内田暁Akatsuki Uchida
photograph by
Hiroshi Sato
2018年7月2日――。
前年優勝者の登場を待ちわびるウィンブルドン初日のセンターコートは、純粋な興奮と高揚感に包まれ、そこに幾ばくかの、半信半疑の思いが混じっていた。
果たしてロジャー・フェデラーは、本当にユニクロのウェアを着て姿を現すのか?
史上最多の20のグランドスラムタイトルを持ち、テニス界のあらゆる記録を塗り替えてきたフェデラーは、その実績ゆえに、そして何より「工芸品」「パーフェクト」と形容されるほど端正かつクリエーティブなプレーゆえに、絶大な人気を誇っている。
そのテニス界の神が、ナイキからユニクロにウェア契約を切り替えるとの噂が流れたのが、6月上旬のことだった。
それから約1カ月。この日のために美しく刈り込まれた新緑の芝のコートに現れたフェデラーの純白のウェアには、真紅のユニクロのロゴが縫い付けられていた。
15歳でIMGの前身に渡った坂本。
万雷の拍手に手を振り応えるフェデラーのその姿を、誰よりも万感の思いと安堵に満たされながら見ていたのは、恐らくはこの人物だろう。
坂本正秀。
テニスコーチ、テレビ解説者、あるいは選手代理人など複数の肩書を持つ彼こそが、フェデラー獲得という奇跡を実現した、最大の功労者である。
「奇跡」を、数奇な足跡の帰結と読み解くなら、その起点を知るには、30年前……坂本が15歳で渡った北米まで辿るべきだろう。
幼少期よりテニスに打ち込みプロを志していた正秀少年は、中学校卒業と同時にフロリダ州のニック・ボロテリー・テニスアカデミー(現在のIMGテニスアカデミー)へと単身渡る。伝手や知己があったわけではない。アカデミーから請われたわけでもない。
あったのは、夢の実現を一途に志す信念。そして、「どうしてもダメだと思った時には、これを使え」と父親から手渡されたクレジットカードだった。