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祝喜寿・アントニオ猪木の伝説検証!(1)
イタリアで一番有名な日本人だった話。
text by
原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2020/02/26 19:00
現役プロレスラーを引退し、国会議員を引退し、現在は新たな事業開発にかけているアントニオ猪木。
警察に怒られる! と思いきや……。
地元の英雄アクラム・ペールワンが猪木と戦ったこの試合。結果は「腕がらみ(キムラロック)」を決めた猪木がギブアップしないアクラムの左腕を折ることで、事実上の決着をみた。ちなみにこの世紀の一戦には、当時のパキスタン大統領も観戦にやって来ていた。時を経て、何度も政権は変わったが、今でも猪木は国賓待遇でパキスタン政府の歓待を受け続けている。
「オレ、あの時、泣いちゃったんだ。オレたちの英雄ペールワンが負けたんだから」
花売りの若者は、ちょっと涙目で猪木を見つめた。
「こんなところでイノキ・ペールワンに会えると思っていなったよ……」
そんなことを話しているとローマっ子が次々に集まってきた。
カフェの前に立つ猪木の周りには山のような人垣ができ、その場はそのまま即席のサイン会と握手会の会場となってしまっていた。
猪木と言えばいつものようにサインを丁寧に1人ずつ書いてあげている。さらにアントニオの大きい「ア」の上に、外国人にも読めるように「Antonio Inoki」とアルファベットで書き加えていた。
人気観光地での予期せぬ大混雑を聞きつけたのか、路地からパトカーが近づいてきた。そのまま通過したと思ったら、すぐにバックしてきた。「あ~~怒られる!」と思ったら、パトカーの窓があいて拳をあげて「アントーニオ!!」と嬉しそうに叫んで、また行ってしまった……。
中田英寿がセリエAでプレーするようになってローマに移籍するまで、「イタリアで一番有名な日本人」は、アントニオ猪木だったのだ。