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祝喜寿・アントニオ猪木の伝説検証!(1)
イタリアで一番有名な日本人だった話。
text by
原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2020/02/26 19:00
現役プロレスラーを引退し、国会議員を引退し、現在は新たな事業開発にかけているアントニオ猪木。
サッカー観戦の後の観客が流れ込んできた!
実際に猪木のプロレスの試合がイタリア現地で行われたのは、1988年1月のことである。
ローマの「パラエウル(現パラロットマティカ)」という、五輪会場にもなった1万人以上収容できる格式高いアリーナで土曜日と日曜日、2夜連続で試合が開催された。
その日曜日はサッカーのセリエA、ローマvs.アスコリが終わった1時間半後のゴングだったから、ローマのスカーフを首に巻いたファンが、スタディオ・オリンピコからパラエウルのアリーナに大挙移動してきて「アントーニオ!!」と声を張り上げることとなった。
試合はアントニオ猪木vs.バッドニュース・アレン。猪木は得意の延髄斬りや卍固めを繰り出して、ローマっ子の大喝采を浴びた。
アルマーニの店でも別格扱いだった猪木。
「あなたのサイズは知っているから」
ローマで試合をした時のこと。アルマーニの店を訪れると店主は次から次へと猪木の体に合ったサイズの服を取り出してきた。猪木はその中から5、6着選んでいた。猪木の試合をしっかり観戦していたらしい店主は、サービスついでに「これもどうだ」とアンダーウェアのパンツまで見せてきた。
猪木は、スーツの時は値段を聞かなかったのに、さすがにこの時だけは「パンツはいくら?」と聞いていた。店主は、このパンツは約5万円だがとても質が良くて……と長々と続けたが、さすがの猪木も「それはいらないよ」と笑い飛ばしていた。
店には30分ほどの滞在だったが、きっといい売り上げになっただろう。アルマーニのスーツを着た猪木は、ローマの古い町並みに美しく溶け込んでいた。
花売りの若者が声をかけてきた理由とは?
ローマでは他にもこんなことがあった。
映画『ローマの休日』で有名なスペイン階段の近くの「カフェ・グレコ」の前で待ち合わせしていた時のこと。
貧しい身なりをした花売りの若者が猪木に近づいてきた。「花を買って」と言うのかと思ったら「イノキ・ペールワンだろ?」と彼は尋ねてきたのだ。
「ペールワン?」
その時の猪木は、懐かしい名前の響きと共に、10万人以上が見たはずの、あの死闘を思い出すような表情をした。
1976年12月のパキスタン。大都市カラチのナショナル・スタジアムでの試合だった。
スタジアムに入りきれない多くの人々が、近くの丘に登ってその光景を見つめていた。花売りの彼は、その丘の上の1人だったというのだ。