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第1回目のレフ・ヤシン賞の受賞者。
リバプールGK、アリソン独占取材! 

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パトリック・ソウデン

パトリック・ソウデンPatrick Sowden

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photograph byBenjamin Schmuck/L'Equipe

posted2020/01/15 15:00

第1回目のレフ・ヤシン賞の受賞者。リバプールGK、アリソン独占取材!<Number Web> photograph by Benjamin Schmuck/L'Equipe

『フランス・フットボール』誌の取材を受ける、レフ・ヤシン賞の第1回受賞者のGKアリソン。

「彼をライバルだと思ったことは一度もない」

――自分が兄より優れていると気づいたのはいつですか?

「優れているなんて思っていないよ。同じようなチャンスをふたりとも得たけれども、クラブにおける状況は異なっていた。僕のそれは兄がいたからこそ得られたものだった。

 ブラジルでは僕らは不可分の存在と見なされている。兄について語られるとき、人々は必ず僕のことも思い浮かべる。兄は僕の成長を助けてくれたし大きな力を与えてくれた。彼をライバルだと思ったことは一度もない。僕が疲れたときや挫けそうになったとき、彼は常に傍らでサポートしてくれた。僕を後押しし、励ましてくれたから僕は前進することができた。僕も兄には同じことをしてきたと思っている。

 その後は僕がローマに移籍して、それぞれの道は分かれてしまったけれども……」

●ジダ(元ブラジル代表GK。ミラン等で活躍し、現役最後の2年間をアリソンとともにインテルナシオナルで過ごした)

「ピッチから離れた彼は常に冗談を言っては微笑みを浮かべていた。ところがいったんピッチに立つと表情が完全に変わる。集中した真剣な顔になるんだ。

 僕がインテルナシオナルで正GKになった次のシーズンに彼がやって来た。当初は不運を嘆いたけど、これは自分が成長できるチャンスなんだとすぐに思い直した。

 人生は学びの連続だ。だからこそ素晴らしい師に巡り合う機会が必要だ。ジダはレジェンドでありトッププレイヤーでもあった。彼の傍らで本当に多くを学んだ。とりわけどんな状況でも冷静さを保ち続けることを。

 彼のキャリアは凄い。優れた闘士であり、何もない最貧の状態からスタートしてトップに登り詰めた。寡黙で言葉数は少ないが、行動で周囲の模範となっている。

 僕が代表に呼ばれたとき、彼が正GKだったが退場処分を受けてしまった。次の試合(2015年10月14日、ワールドカップ予選のベネズエラ戦)で監督(ドゥンガ)は僕をスタメンに選んだ。試合も快勝(3-1)で僕はそのまま次もスタメンで残った。

 あのときジダが果たした役割は大きかった。彼は積極的に僕を助け、力になってくれた。スターの驕りや慢心は一切なく、チームのために僕をサポートしてくれたんだ」

「僕にとって最初のセレソンの思い出だ」

●クラウディオ・タファレル(ブラジル代表最多出場GK、ワールドカップ最多出場GKなど数々の記録を持つ。'94年W杯優勝、'98年準優勝)

「彼が僕にとって最初のセレソンの思い出だ。'94年のときはまだ小さかったけど、'98年W杯準決勝のオランダ戦(1-1の後PK戦の末にブラジルが4-2で勝利)のことははっきりと覚えている。タファレルがPKを2本止めてブラジルは決勝に進んだんだ。

 僕は父や兄、叔父たちと一緒に家で試合を見ていた。父はケーキを持ったまま画面に見入っていて、誰もが食い入るようにPK戦の結末を眺めていた。タファレルが相手のキックを止めたとき、興奮した父はケーキを顔面に塗りたくっていたよ(笑)。

 実を言うと彼がプレーする場面はそんなに見てはいない。でもなぜか彼とはキャリアが重なっている。ふたりとも若くしてプロデビューし、同じ街の同じクラブでプロ生活をスタートさせた。彼もまたインテルナシオナルからイタリアのクラブに移籍していった。

 ある日、僕がまだ11~12歳のころだった。僕のコーチと友人だった彼が練習を見に来たことがあった。そのとき彼が手袋をひと組くれたんだ。本当に嬉しかった。

 彼もまた僕に多くのインスピレーションを与えて、成長の手助けになってくれた。その後は会う機会も増えて、人となりに触れどうして彼が現在のようになったかを理解した。なぜ伝説と呼ばれるまでになったのかを」

【次ページ】 「彼こそ特別な存在だ」

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