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元木大介と巨人の30年と大森剛。
アイドル、クセ者、ヘッドコーチ。
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byKyodo News
posted2019/12/22 11:40
元木大介が原巨人のヘッドコーチとしてフィットする。こんな未来を思い描いた野球ファンはどれほどいることだろう。
大森「高校生のくせに」
すると、危機感を覚えた大森本人もドラフト前の『週刊ベースボール』インタビューでこんなガチンコ発言をかまし物議を醸す。
「巨人以外なら日本石油かアメリカに留学するって。ボクもその前に巨人じゃなきゃ東京ガスに行くと、同じようなことを言っている。“同じことを言いやがって。高校生のくせに”と思いましたよ。元木はボクより顔はいいかもしれないけど、そんなにカッコイイと思わないです」
なにも大学生が高校生相手にそこまでムキにならなくても……と突っ込みたくなるが、「ボクはプロに行きたいんじゃなくて、巨人というところで仕事がしたいんです」とまで言い切る血気盛んな慶応ボーイ。
当時の時代背景を補足しておくと'89年12月29日に日経平均株価は史上最高値の3万8957円44銭を記録するなど、空前の好景気がピークを迎えており、多くの大学生は超売り手市場の就職戦線に強気で臨み、プロ野球からの誘いを断り不動産会社や銀行へ就職する選手もいるほどだった。
1年の浪人を経て巨人へ1位で。
結果的に巨人は大森を1位指名し、元木はダイエーの外れ1位を拒否してマスコミから追い回されるハメになり、落ち着いた環境を求めハワイでの浪人生活へ。
と言っても、地元少年野球コーチの大工のおじさんに頼み、マシンとボールを借り、だだっ広いフェンスもないグラウンドで打ち続ける日々。地元の草野球ではせめて肩が弱くならないようにピッチャーを希望したという。そんな生活を半年ほど続け、ようやく'90年ドラフトで悲願の巨人1位指名を受けるわけだ。
しかし、2年目に一軍デビューして3年目は80試合出場とプロの水にも慣れ、さあこれからという時、'93年オフからプロ野球界には逆指名ドラフトとFA制度が導入されるわけだ。
まだ圧倒的にジャイアンツブランドが強かった時代、有望新人もFA選手もさらに助っ人選手まで巨人に集結し出す。いわば長嶋巨人の終わりなき大型補強期が始まるのである。
内野手だけでも落合博満、広澤克実、ジャック・ハウエル、清原和博、石井浩郎……。逆指名で同い年の仁志敏久、さらにマント、ルイス、ダンカンと元木自身が「脅威の外国人三本柱」と自らネタにする外国人三塁手を3年連続で獲得したこともあった。