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金子達仁が見てきた敗者の態度。
ラグビーW杯の今後と釜石の未来。
text by
金子達仁Tatsuhito Kaneko
photograph byGetty Images
posted2019/11/06 20:00
表彰台から降りてまもなく、銀メダルを外したイングランド代表HCエディー・ジョーンズ。その表情から悔しさが滲み出ていた。
もし、ラグビーW杯が巨大化したら。
なぜラガーマンたちは、あれほど激しくやり合ったあとに互いを讃え合うことができるのか。勝敗と同じぐらい、ひょっとしたらそれ以上に大切なものが、勝者と敗者の間で共有されているからではないか、と思う。
それは、ラグビーという競技を愛する連帯感であり、どれほど激しく身体をぶつけあったとしても、精神のコントロールを失ったりはしないという誇りかもしれない。たとえ敗れようとも、無残な惨敗を喫しようとも、その誇りを否定したりされたりすることはない。
だが、この先ラグビー・ワールドカップという大会が巨大化していったらどうなるか。大会が巨大化することで、ラグビー界に現在よりもはるかに多くの大金がなだれ込むようになったらどうなるか。
勝者が大金を手にできるようになったとき、つまり勝利の意味がいまよりももっともっと大きくなったとき、それでも敗者は、勝者と抱き合えるだろうか。勝者は、敗者の痛みと寄り添えるだろうか。
わたしには、わからない。
ただ、ルーツを同じくしながら、ラグビーより1世紀ほど早くプロ化に舵を切ったサッカーが、もともとはあったはずの勝者と敗者が互いに尊敬しあう関係を失っていったことを考えれば、今後いよいよプロ化の道を進めていくであろうラグビーが、いまのままでいられるとも思えない。
負けたあとの態度を批判されたイングランドのような存在は、ますます増えていく気がする。それがいいのか悪いのかは別にして。