プロ野球PRESSBACK NUMBER
西武・大石達也、現役生活に幕。
森慎二の教えを胸に第二の人生へ。
text by
市川忍Shinobu Ichikawa
photograph byKyodo News
posted2019/11/01 11:50
斎藤(中央)、福井(左)との早大トリオとしてドラフトの顔になった大石。最速155キロを誇った右腕には6球団が競合した。
忘れることができない勝負球。
では現役生活の中で最も印象に残る時期はいつだったのか。
「いちばんはやはり慎二さん(故・森慎二投手コーチ)と練習してきたことが、しっかり結果となって表れた時期のピッチングですね」
そんな充実した日々の最中に突然、訪れたのが森コーチの訃報だった。
森慎二コーチが急逝した2017年6月28日、チーム本隊は沖縄へ遠征中のことだった。享年42歳、急性多臓器不全だった。
メットライフドームで行われた追悼試合で9回、大石はマウンドに上がった。敗れはしたものの、渾身のフォークボールで相手打線に立ち向かい、無失点に抑えた。2015年、森コーチが二軍投手コーチに就任。フォークボールは、当時、二軍で苦しんでいた大石に森コーチが伝授した球種だった。現役時代の森慎二投手を語る上で、忘れることはできない勝負球だった。
「慎二さんが亡くなった直後、初めて投げた試合は印象に残っています。慎二さんには本当にいろいろな練習方法を教えていただいたし、フォークボールの投げ方も指導していただきました。そういった指導の内容も自分の中にはしっかり残っている。これから後輩に伝えていければ……」
何年経っても変わらない声援。
思えば、6球団競合の末でライオンズに入団したときから、大石はいつも周囲が抱く大きな期待に応えようと努力してきた。6球団に入団を望まれた輝く潜在能力だけではなく、その真っ直ぐな姿勢がライオンズファンに愛された。
「マウンドに上がるときに、本当に大きな声援で迎えてくださったことが一番の思い出です。声援の大きさは入団して9年間、毎年、何年経っても変わることはありませんでした。感謝しかないですね。あの歓声が本当に力になったし、ありがたかったです」
現役生活を卒業し、新しい世界に一歩、足を踏み出していく大石の耳にも、これまでと同じ大歓声が聞こえていることを願う。